ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

安産祈願のお寺 徳島県鳴門市「極楽寺」(その2)

第二番札所 日照山  極楽寺

(にっしょうざん  ごくらくじ)

住所 鳴門市大麻街檜字段の上12

電話 088-689-1112

霊山寺から極楽寺まで 距離  1.2km 標高差  ほぼ平坦

 

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霊山寺から極楽寺まで

奈良時代行基が開基したと伝わる。弘仁六年(815)にこの地を巡錫した弘法大師が三十七日間阿弥陀経を読誦し修法。結願の日に阿弥陀如来が出現したので、その姿を彫造して本尊とする。阿弥陀如来像は美しく、発する光は遠く鳴門の長原沖まで達するため漁の妨げとなった。このため漁師らが本堂の前に人工の丘を築き、光を遮ったとの伝えから山号が「日照山」となる。本堂は天正年間(1573〜1592)に長宗我部元親の兵火により灰燼と帰し、万治二年(1659)に再建される。極楽寺は安産祈願の寺。難産に悩む難波の婦人が妊娠したので安産祈願を受けたところ、ある夜弘法大師が夢に現れ四国遍路を勧めた。そこで発心して極楽寺まで来たところ急に産気づいたが、大師のお告げがあった途端におさまり、その後結願して帰宅、無事元気な男児が生まれた。感激した婦人が奉納したのが本堂右手にある安産大師像であり、地元の人は寺を「子安さん」と呼ぶ。三方を山に囲まれた閑静な境内で、朱塗りの仁王門をくぐると極楽浄土をイメージしたような庭園が広がる。仁王門をくぐった左手にある願掛け地蔵は、お地蔵さんの真言を唱え精進努力すれば不思議なご利益があるとされる。大師堂手前にある抱き地蔵は、持ち上げて軽く感じると願いが叶うとされる。境内には大師の手植えとされる樹齢千二百年の「長命杉」があり、触れれば病気平癒や長寿を授かるという。参道の掲示板に般若心経の分かりやすい現代語訳が貼られていたので、以下長くなるが紹介する。今まで色々な訳文を見てきたが、一番分かりやすいと思う。

御詠歌 極楽の弥陀の浄土へ行きたくば南無阿弥陀仏と口ぐせにせよ

御本尊 阿弥陀如来(伝弘法大師作)

真言 おん  あみりた  ていせいから  うん

 

般若心経 現代語訳

般若心経のその心

全知者であるさとった人に礼してたてまつる。

求道者にして聖なる観音は、深遠な知恵の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、彼は、これらの構成要素が、その本性からいうと、実態のないものであると見抜いたのであった。

シャーリプトラよ、この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象であり得るのである。

実体がないからといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。

このようにして、およそ物質的現象というものは、すべて実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。

シャーリプトラよ、この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということも、増すということもない。

それゆえに、シャーリプトラよ、実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。

さとりもなければ迷いもなく、さとりがなくなることもなければ、迷いがなくなることもない。

こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それゆえに、得るということがないから、諸々の求道者の知恵の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、転倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。

過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめをさとり得られた。

それゆえに人は知るべきである。知恵の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、知恵の完成において次のように説かれた。

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。

ここに知恵の完成の心を終わる。

 

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