ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

黄金の霊水が湧き出るお寺 徳島県板野町「金泉寺」(その3)

第三番札所 亀光山  金泉寺

(きこうざん  こんせんじ)

住所 板野郡板野町大字字亀山下66

電話 088-672-1087

極楽寺から金泉寺まで

距離  2.7km 標高差  ほぼ平坦

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極楽寺から金泉寺まで

寺伝によると聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、「金光明寺」と命名する。高さ91cmの釈迦如来像を本尊とし、脇侍に阿弥陀如来薬師如来が安置される。境内から奈良時代の瓦が多数出土されたことから、寺の創建は寺伝のとおり奈良時代に遡ると推察される。弘仁年間(810〜24)に弘法大師が巡錫した際、水不足に苦しむ村人のために井戸を掘ったところ、黄金の霊水が湧き出る。これを見た大師は「長寿をもたらす黄金の井戸」であるとし、寺号を「金泉寺」へと改める(これとは別に、弘法大師が境内の古井戸から黄金の仏像を拾い上げたとも伝わる)。亀山法皇(1259〜1274)の信仰が厚く、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣ならった堂舎を建立し、千躯の千手観音を祀る。また背後の山を「亀山」と命名し、山号を「亀光山」と改める。天正十年(1582)に長宗我部元親による兵火により大師堂以外の建物を焼失するが、その後再興される。土佐の長宗我部軍と阿波讃岐連合軍が決戦した中富川は寺の南2kmに位置する。土佐の兵力2万騎、迎える三好の将十河存保は5千騎で、ここで三好方が破れ阿波は長宗我部に屈伏する。源義経屋島攻略の折に訪ねた際、力自慢の弁慶が試しに持ち上げたとされる「弁慶石」が泉水のふちに保存されている。義経が戦勝開運の祈願をしたと伝わる聖観音は「勝運観音」と呼ばれ、勝負運にご利益がある。人生開運を願い多くの参拝者が訪れる。閻魔堂前にある「黄金井の霊泉」は、のぞき込んだ顔が水面に映らないと三年余の寿命、映ると長寿であると言われる。その傍らには首からご利益があるとされる北向き地蔵がある。金泉寺までは真っ平らな道。街道ではなく旧道の遍路道を進むので、家々の庭先を眺めながら心地よいサイクリングを楽しむことができる。

御詠歌 極楽の宝の池を思えただ こがねのいずみ澄みたたえたる

御本尊 釈迦如来

真言 のうまく  さんまんだ  ぼだなん  ばく

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