第十一番札所 金剛山 藤井寺
(こんごうざん ふじいでら)
電話 0883-24-2384
距離 10.6km 標高差 +31m -157m
御弘法大師が巡錫の折、三方を山に囲まれ渓流の清らかなこの地に心を惹かれ、薬師如来像を彫造して堂宇を建立。更に山へと二町ほど上がった八畳岩に金剛不壊と言われる護摩壇を築き、十七日間の御修法(みしほう)を行った。その堂宇の傍らに大師が五色の藤を植えたという由来から、金剛寺藤井寺と称される。真言密教の道場として七堂伽藍を有する隆盛を誇ったが、天正の兵火で焼失。承応二年(1653)に四国遍路道を巡った京都智積院の澄禅は「四国遍路日記」に堂宇の荒廃した様子を記している。阿波藩主蜂須賀家が帰依していた慈光寺の南山国師が延宝年間(1673〜1682)に入山して再興、宗派を臨済宗に改める。四国八十八箇所のうち、臨済宗の寺院は他には長宗我部氏の菩提寺である土佐の雪蹊寺のみで、本寺が再興の折に武士階級の尊信をあつめる禅宗寺院へと改宗された背景も推察されよう。本堂の薬師如来像には「仏師経尋、尺迦仏、久安四年」と墨書があり、平安時代末期(1148年)作の古い仏像であることがわかる。また本堂では地元出身の画家が描いた雲龍の天井画が睨みをきかせている。境内にある白龍弁財天堂は六角堂の作り。八本の手を持つ自在円満菩薩が祀られ、福徳を授けるとされる。四国八十八箇所のうち、寺号の「寺」を「てら」と読ませるのはここだけ。水がこんこんと湧き出る寺は集落の最奥にあり、山の懐に覆われどこか寂寥感が漂う。切幡寺からは幹線道路を外れ遍路道を行くが、徳島県内は総じて標識が整備されており迷うことはない。狭い路地裏を抜け、吉野川に架かる長さ285mの川島潜水橋を渡るルートは、阿波路の楽しさを十分満喫できる。ただし橋には手すりもなく、増水時には渡れないのでご注意を。
御詠歌 色も香も無比中道の藤井寺 真如の波のたたぬ日もなし
御真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか