第十六番札所 光耀山 観音寺
(こうようざん かんおんじ)
電話 088-642-2375
国分寺から観音寺まで
距離 1.7km 標高差 ほぼ平坦
子供の健康と成長を願う寺 観音寺
聖武天皇が全国に国分寺・国分尼寺を創建した際、行基に命じて勅願道場として建立したのが寺の起源。弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁七年で、千手観音像を彫造して本尊とする。大師は脇待像として悪魔を降伏する不動明王像と鎮護国家の毘沙門天像を刻み、現在の寺名へと改める。他の阿波各地の霊場と同様、天正の兵火で焼失するも蜂須賀家の帰依を受け再興を果たす。大正初期、両親に連れられて参拝した盲目の男性が、本尊のご利益により目が見えるようになり、松葉杖を奉納したという霊験譚が伝えられる。山門右手には「夜泣き地蔵」が祀られ、子供の健康と成長を願う親が奉納したよだれかけ(スタイ)がかかる。本堂には炎に包まれた女性を描いた奉納額がある。明治期に淡路の婦人がお遍路の途中、当寺で濡れた白衣を焚火で乾かしていたところ、火が燃え移って大やけどを負う。婦人はかつて燃えた薪で姑を叩きいじめたことがあり、やけどはその戒めであると悟った婦人は反省を込めて額を奉納した。これは先代住職が子供の頃に実際に見た話だそうだが、こうした因果応報の奇談は霊場にはつきもの。山門をくぐるとすぐに本堂という、いたってこじんまりとした町中のお寺。鐘楼は戦争で供出したままとのこと。町名は「かんのんじ」だが寺名は「かんおんじ」。
御詠歌 忘れずに導きたまえ観音寺 西方世界弥陀の浄土へ
御本尊 千手観世音菩薩
御真言 おん ばさらたまら きりく そわか