ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

「幽霊伝説」が残る長宗我部元親ゆかりのお寺 高知県高知市「雪渓寺」(その37)

第三十三番札所 高福山  雪渓寺

(こうふくざん  せっけいじ)

住所 高知市長浜857-3

電話 088-837-2233

禅師峰寺から雪渓寺まで

距離  8.3km 標高差  +41m  -106m

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禅師峰寺から雪渓寺まで

弘仁六年(815)に弘法大師により開基される。創建当時は真言宗で「高福寺」と称した。鎌倉時代には仏師、運慶とその長男湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を彫造、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置する。この頃、寺名を「慶運寺」に改称したと伝わる。弟子の道運、海覚作の十二神将共に十六体、これらはすべて国の重要文化財に指定。その後寺運が衰え廃寺となるが、これを再興したのが土佐領主・長宗我部元親公。元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を初代住職に招き、中興の祖とする。八十八霊場の中で臨済宗は本寺と十一番札所である阿波の藤井寺のみ。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改める。寺は「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職天質和尚が朱子学南学派の祖として活躍。野中兼山などの優れた儒学者を生み出す。明治初期の廃仏毀釈で一時廃寺となるが、十七代大玄和尚、十八代玄峰和尚により再興される。玄峰和尚は若い頃失明に近い眼病を患い、裸足で七回目の遍路をしているところを大玄和尚に救われ出家する。十八代和尚を勤めた後、三島・龍沢寺住持や名古屋・日泰寺、京都・妙心寺管長となる。終戦直前、鈴木首相に対し「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言するなど「昭和の傑僧」と言われる。寺の初代住職月峰和尚には、妖怪とのやりとりが「歌詠み幽霊の伝説」として残されている。この妖怪は和歌の上の句が出来ずに死んだため成仏できず、寺に永く棲み着く。寺に来た和尚が夜更けに座禅を組むと、ひどく悲しげな泣き声と共に「水も浮き世という所かな」と下の句が聞こえる。和尚は翌晩再び座禅を組み「墨染めを洗えば波も衣きて水も浮き世という所かな」と上の句を交えてを詠むと、たちどころに泣き声が消え去ったという。寺には昭和初期に改築された馬頭観音がある。旅の安全を守るとされ、遍路の信仰が篤い。平成16年に改築された本堂は、入母屋造りの屋根が澄んだ青空に映える。境内には野菜や果物を売る白いテントの売店があり、地元の人が利用している。寺へは浦戸湾を航海する県営渡船を用いると良い。種崎から長浜までの区間で、自転車・原付とも無料。10分間の小さな船旅を楽しめるが、日中は一時間に1本と便が少ないので要注意。渡船場からは小さな商店街を越えるとすぐに着き、迷うことはない。

御詠歌 旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしい有明の月

御本尊 薬師如来

真言 おん  ころころ  せんだり  まとうぎ  そわか

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