ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

八方にらみの竜のある水清らかなお寺 高知県土佐市「清龍寺」(その39)

第三十五番札所 医王山  清瀧寺

(いおうざん  きよたきじ)

住所 土佐市高岡町丁568-1

電話 088-852-0316

種間寺から清瀧寺まで

距離  9.6km 標高差  +135m  -8m

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種間寺から清龍寺まで

養老七年(723)に行基がこの地にて霊気を感得し、薬師如来坐像を彫造。堂宇を建て本尊としたのが寺の始まりで、「影山密院釋本寺(たくもくじ)」と称する。弘仁年間(810〜824)に弘法大師が訪れ、五穀豊穣を祈願して閼伽井(あかい)権現と龍王権現を勧請するための壇を築く。十七日間の法を修めた大師が満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池が現れた。そこで大師は寺の山号院号・寺名を「醫王山鏡池院清瀧寺」へと改める。大師の十大弟子の一人である真如上人は平城天皇の第三皇子で高岳親王と称したが、薬子(くすこ)の変で宮中を追われ出家。空海没後の貞観三年(861)に太宰府から唐へと船出するが、九州に渡る途中に本寺に寄り「われ唐天竺においてこの身は果てようとも、必ず魂はこの地に帰り、永世この寺を守り、天が下の民を安ぜん」と念じ、逆修の五輪塔を建立する。「逆修」とは生きているうちに自身のための仏事を行い冥福を祈ることであり、塔は生前墓である。境内の南西には「いらずの山」と呼ばれ人の近づかない一角があるが、そこが真如上人の逆修塔のある場所とされる。江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く、寺領百石の寄進を受ける。七堂伽藍を備え、末寺十数寺を有する土佐路の大寺であった。明治4年(1871)に廃仏毀釈で廃寺となるが、同13年(1880)に再興される。明治33年の楼門(ろうもん)建立に際し、地元の画家久保南窓の揮毫した天井画「蛟竜図」「天女図」が奉納される。蛟竜図はどこから見ても目があう「八方にらみの竜」である。境内には本堂の屋根より高い薬師如来像が立つ。製紙業者からの寄進によるもので、昭和8年作。胎内巡りができ、真言を唱えながら巡戒壇巡りをすると厄除けにご利益がある。土佐市は「土佐和紙」「手すき障子紙」で知られる高知県の紙どころ。寺から流れ出す清流は、麓の田畑を潤すことはもとより「みつまた」をさらし紙を漉くうえで重用され、土佐和紙産業発展の礎となる。寺は仁淀川に臨む山の中腹にあり、麓からは果樹畑の横切り狭い道を登っていく。土佐市は文旦の発祥地で、収穫期になると無人販売所が多く見られる。車道に平行する遍路道は急坂で「八丁坂」と呼ばれる。一丁毎に置かれたお地蔵さんはお遍路さんの心を和ませる。境内からは高岡の町と仁淀川、その向こうに土佐湾が見える。急坂を頑張ったことへのご褒美である。

御詠歌 澄む水を汲むは心の清瀧寺 波の花散る岩の羽衣

御本尊 厄除薬師如来

真言 おん  ころころ  せんだり  まとうぎ  そわか

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