ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

かつては入り江をポンポン船で渡った「Blue Dragon」のお寺 高知県土佐市「青龍寺」(その40)

第三十六番札所 独鈷山  青龍寺

(とっこうさん  しょうりゅうじ)

住所 土佐市宇佐町竜163

電話 088-856-3010

清瀧寺から青龍寺まで

距離  13.5km 標高差  +55m  -177m

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清瀧寺から青龍寺まで

弘法大師延暦二十三年(804)に唐へ渡り、長安青龍寺で恵果和尚から真言密教の奥義を学ぶ。恵果は大師に遍照金剛の灌頂名を授け、その後入寂。大師は帰国の際、恩師に報いるため日本に青龍寺を作ろうと決意し、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるよう祈願する。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去ったという。帰朝後、四国を巡錫中の大師は独鈷杵がこの地の老松にあると感得し、ときの嵯峨天皇(809〜23)に奏上する。大師は弘仁6年(815)に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置して寺を開創。寺名を恩師に因み青龍寺山号は遙か異国の地から放った「独鈷」と名乗る。江戸時代初期には荒廃するが、土佐藩二代藩主山内忠義により再興。宝永の大地震(1707)と津波で大きな被害を受けるが、江戸末期に再建される。大師は唐への渡航中暴風雨に見舞われるが、空から現れた不動明王が剣で波を切り大師を救ったという。本尊の波切不動明王像は空海がその姿を刻んだものであり、右手に降魔の剣を持ち衆生を救うと伝わる。航海の安全や豊漁とともに、世間の荒波を鎮めてくれると信仰を集める。本堂に安置する愛染明王坐像は国の重要文化財不動明王像と一対に祀られ、全ての苦しみを救いとる。遍路道は現在「宇佐の大橋」を渡るが、橋の開通前は浦ノ内湾をポンポン船で渡った。渡し船の漕ぎ手は、大師が寺を創建した際に共をした者の子孫が代々継いできたという。仁王門から百七十段の急な石段を登ると本堂が建ち、唐の青龍寺と同様に、左に大師堂、右に薬師堂が横一列に並ぶ。外人のお遍路さんは寺を「Blue Dragon」と呼ぶ。山門を過ぎると左に滝の行場があり、清水のはじけ散る音がすがすがしい。水量豊かな寺である。高知市近傍の寺巡りはここで打ち止めで、南国土佐を走り回ったロードバイクはひとまずお休み。ここからは寺と寺との距離が長く、土佐の山道を十分に堪能することとなる。スーパーカブの出番である。

御詠歌 わずかなる泉にすめる青龍は 仏法守護の誓いとぞきく

御本尊 浪切不動明王

真言 のうまくさんまんだ  ばざらだん  せんだ  まかろしゃだ  そわたや  うんたらか  かんまん

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