ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

天魔が蠢く地の果てに立つお寺 高知県土佐清水市「金剛福寺」(その43)

第三十八番札所 蹉跎山  金剛福寺

(さださん  こんごうふくじ)

住所 土佐清水市足摺岬214-1

電話 0880-88-0038

岩本寺から金剛福寺まで

距離  85.2km 標高差  +519m  -674m

f:id:sikimidaigarden:20210325054713p:plain

岩本寺から金剛福寺まで

弘仁十三年(822)に嵯峨天皇から「補陀落(ふだらく)東門」の勅額を受けた弘法大師は、足摺岬の突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得する。岬を見下ろす丘の中腹に伽藍を建立し、三面千手観世音像を彫造して安置。寺名を金剛福寺とする。大師が唐から帰朝する際、日本に向けて投げた五鈷杵は足摺岬に飛来したと伝わる。五鈷杵は別名金剛杵と呼ばれ、寺名の由来となる。歴代天皇の勅願所となり、武将からも尊崇される。特に源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子頼光は諸堂を修復する。平安時代後期には観音霊場として信仰され、後深草天皇の女御の使者や和泉式部が参詣する。戦国時代には一時荒廃するが、山内藩主の支えで寺運は隆盛し、堂宇十六、二十二社が立ち並び、末寺十七、堂社二十七を支配する大寺として栄える。かつて、阿弥陀如来の住む極楽浄土は西方に、観音菩薩が住む補陀落は南の海にあるとされていた。戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰し、一人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んとなる。渡海の出港地として足摺岬は全国から修験者が集まる一大聖地であった。後深草天皇中宮であった二条藤原公子の日記文の一節に「あしずりのみさきと申すところがゆかしくて待てる。ときにそれえまいるなり(中略)一葉の船の竿さして南をさして行く、坊主泣く泣く「われを捨てていずくへ行くぞ」という。小法師「補陀落界へまかりぬ」とこう。見れば二人の菩薩になりて船のともえに立ちたり。心うくかなしく、泣く泣くあしずりをしたりけるこそ」とある。山号の蹉跎とは足を取られること。この地に住む天魔が修行中の金峰上人に呪伏され、蹉跎しながら(地団駄を踏みながら)退いたことに由来する。足摺るも同様の意味で、足摺岬は別名蹉跎岬と呼ばれる。かつてこの地を訪ねた大師も、あまりに険しい道のりに足摺ったと伝わる。境内は大きな池に諸堂、土佐五色石が映える。108体の仏群を抱き、曼荼羅さながらの水鏡である。岬の遊歩道付近には「弘法大師の七不思議」と呼ばれるゆるぎ石、亀石、大師一夜建立ならずの華表、亀呼場、大師の爪書き石がある。大師は海亀に乗って沖に浮かぶ不動岩で修行したとされ、境内には願いながら頭を撫でると幸運が訪れる大師亀がある。岩本寺からの道のりは、かつては坂を越え浦を回っての難渋な道で、三泊を要したという。次の札所へも山中険しい道のりであり、寺はまさに「修行の道場」そのものである。あまりの厳しさ故に、江戸時代に遍路の雛形を作った真念は岬への途中遍路宿を設ける。真念庵と呼ばれ、中村市土佐清水市との間に現存する。真念は寺に属さず托鉢しながら修行する土佐出身の僧で、著作である八十八霊場の紹介本「四国遍路道指南」(1687)は当時のベストセラーであった。岬からは光り輝く太平洋が眼下に広がり、近くの植物園と共に南国気分を十二分に満喫できるが、かつては怒涛吠え、天魔が蠢く地の果てそのもの。土佐出身の田宮虎彦の小説「足摺岬」を深夜に読むと、こうした異次元の世界へとトリップできる。土佐清水市中心から岬へは、ロードバイクでは西回りの方がバイパスが整備されている分、東回りよりアップダウンが少ないが、素朴な海辺を楽しめるのは東廻り。スーパーカブなら無料の足摺スカイラインを快走したい。

御詠歌 ふだらくやここはみさきの船の棹 とるもすつるも法の蹉跎山

御本尊 三面千手観世音菩薩

真言 おん  ばざらたらま  きりく

f:id:sikimidaigarden:20210325054817j:plain

f:id:sikimidaigarden:20210325054836j:plain