ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

四国霊場の裏関所、カエルの石像のあるお寺 愛媛県愛南町「観自在寺」(その45)

第四十番札所 平城山  観自在寺

(へいじょうざん  かんじざいじ)

住所 宇和郡愛南町御荘平城2253-1

電話 0895-72-0416

延光寺から観自在寺まで

距離  27.9km 標高差  +181m  -209m

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延光寺から観自在寺まで

大同二年(807)平城天皇の勅令を受けた弘法大師がこの地を訪れ、一本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造し、寺を開創する。三体は「一木三体」「一刀三礼」の像として知られ、一本の霊木を一刀入れる毎に三度礼拝して刻んだとされる。このとき大師は、残った霊木に「南無阿弥陀仏」と六字の名号を彫り、厄除諸難消除の舟形の宝判を造る。この宝判を晒木綿に写した宝判御守が現在、参拝者に授与されている。平城天皇は勅額「平城山」を下賜し、次の嵯峨天皇とともに行幸御朱印を下して「一切経」「大般若経」を奉納し、毎年勅使を遣わし護摩供の秘法を修する。このことから、この地方は「御荘平城」と称するようになり、寺の住所名にも使われる。境内には平城天皇お手植えの松の切り株がある。寛永十五年(1638)京都・大覚寺の空性法親王が四国巡拝の折に宿泊し、「薬師院」の院号を授ける。この頃寺は七堂伽藍がそびえ、末寺48坊、寺領二千数百石の隆盛を誇ったとされるが、火災により全ての堂塔を焼失。延宝六年(1678)に宇和島藩主・伊達家の祈願所として再建される。昭和三十四年に本堂を子供の火遊びで焼失し、昭和三十九年に再建されるが、本尊は奇跡的に難を逃れたという。大師堂は平成五年に再建され、大師像の脇侍として不動・愛染明王が祀られる。昭和五十三年、十二支守り本尊として千手観音菩薩(子年)、虚空蔵菩薩(丑・寅年)文殊菩薩(卯年)、普賢菩薩(辰・巳年)、勢至菩薩(午年)、大日如来(未・申年)、不動明王(酉年)、阿弥陀如来(戌・亥年)の八体の石像が彫刻される。自分の干支の守り本尊に水を掛け、願いを込めることができる。仁王門は総欅造りで、天井に方位盤が掛けられている。境内の片隅には、平城天皇の遺髪を埋めたという五輪の古塔がひっそりと佇んでいる。また境内には石像のカエルの像がある。「栄かえる」と呼ばれ「親子孫と三かえる、お金がかえる、福がかえる、病気が引かえる」と看板にある。伊予の霊場は全部で二十六札所あり、それらは「菩薩の道場」と呼ばれる。荒ぶる「修行の道場」から離れ、自然も人も穏やかな伊予の地にて心癒されつつ巡礼できることによる。観自在寺はその最初の札所であるが、一番札所から最も離れているため、四国霊場の「裏関所」と称される。南予地方は鯛や真珠の養殖、ミカン栽培で有名だが、四国もここまで来ると辺境といった趣きが強い。寺は愛南町の町中にあり、旧道から参道が続く。土佐から伊予へはかつては峠越えの厳しい道程であったが、昭和初期に宿毛トンネルが開通し国道が整備される。海から離れた山中を通るので、ここはスーパーカブで快走したい。

御詠歌 心願や自在の春に花咲きて 浮世のがれて住むやけだもの

御本尊 薬師如来

真言 おん  ころころ  せんだり  まとうぎ  そわか

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