第四十一番札所 稲荷山 龍光寺
(いなりざん りゅうこうじ)
電話 0895-58-2186
龍光院から龍光寺まで
距離 9.7km 標高差 +172m -13m
大同2年(807)弘法大師がこの地を巡錫中、稲束を背負ったひとりの白髪老人が現れ、「我この地に住み法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて忽然と姿を消す。大師は、この老翁が五穀大明神の化身であると悟り、その明神を勧請して稲荷明神像を彫造、堂宇を建てて安置する。このとき、本地仏の十一面観世音菩薩と共に脇侍の不動明王・毘沙門天を造像して安置し、寺を「稲荷山龍光寺」と号し四国霊場の総鎮守と定める。往時の寺は現在地から少し離れた稲荷田にあったが、元禄元年(1688)に現在地へと移され、稲荷社が壇上中央、東側に観音堂、下段に大師堂が建立される。江戸中期には神仏習合の「稲荷寺」「三間の稲荷」と呼ばれ、五穀を司る稲荷大明神が祀られていた。寺は農家の守り神として信仰を集め、また商売繁盛のご利益もあると商人からも崇敬される。明治の廃仏毀釈により寺は稲荷神社と分離され、旧本堂が稲荷神社の社殿となる。そして旧本堂に祀られていた大師勧請の稲荷大明神像が新たに建てられた本堂の右手に、旧観音堂に祀られていた本地十一面観世音菩薩像が本尊として中央に移される。寺の山門は鳥居で、神仏習合の面影を色濃く残す。山門をくぐると仁王像に代わる守護役・狛犬が迎える。境内には狐とお地蔵さんの石像が仲良く並んでおり、仏と神が今なお同居している。寺には寺号にまつわる話が伝わる。河原でうたた寝をしていた庄屋が龍に襲われた時、腰の刀が自然と抜け龍の目玉をくり抜く。寺にはその時の龍の目とされる直径10センチほどの黒石が伝わる。四万十川の支流である三間川が流れる三間平野は南予有数の穀倉地帯。寺は平野を見下ろす小さな山の中腹にある。民家が並ぶ参道を進み石段を登り詰めると、正面の高台に稲荷神社、その下左右に本堂と太子堂が並ぶ。他の寺に比べると非常にコンパクトな感じがする。三間平野は四季折々の草花が美しく、毎年11月頃にはコスモス祭りが開かれる。宇和島市からは県道を進むが、高速道路が並走するため交通量は少なく快適。南予の田舎道といった感じである。
御詠歌 この神は三国流布の密教を 守り給わむ誓いとぞ聞く
御本尊 十一面観世音菩薩
御真言 おんまか きゃろにきゃ そわか