ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

ご利益の万屋(よろずや) 愛媛県松山市「浄瑠璃寺」(その54)

第四十六番札所 医王山  浄瑠璃寺

(いおうざん  じょうるりじ )

住所 松山市浄瑠璃町282

電話 089-963-0279

岩屋寺から浄瑠璃寺まで

距離  25.8km 標高差  +443m  -796m 

f:id:sikimidaigarden:20210621064848p:plain

岩屋寺から浄瑠璃寺まで

日本初の流通貨幣である和同開珎が造られた和銅元年(708)、行基が布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立する。白檀の木で薬師如来像を彫り本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩、眷属として十二神将を彫造して安置する。薬師如来は東方にあるとされる浄瑠璃世界の救主で、寺名はその名に因む。また山号も医王如来に因み「医王山」とされる。百年後の大同ニ年(807)、唐から帰朝した弘法大師が寺にとどまり荒廃した伽藍を修復。四国霊場の一寺とする。室町時代の末期、病に苦しむ足利幕府の武将平岡道倚が本尊に祈願したところ御利益で全快したことから、寺塔を再興し厚く帰依する。正徳五年(1715)の山火事で本尊と脇侍を除く寺宝、伽藍を焼失するが、天明五年(1785)に地元の庄屋から住職となった僧・堯音が復興を果たす。堯音は托鉢をしながら全国を行脚し、その浄財で諸堂再興に尽力したという。また堯音は社会事業家としても知られ、岩屋寺から松山に至る土佐街道に八つの橋を架けている。本堂と大師堂には「抱っこ大師」が安置されており、稚児の大師像を実際に抱くことが出来る。本堂左手の鳥居の中にある一願弁天堂には天女像が祀られ、音楽、智恵、美貌、財宝、福徳に霊験があるとされるが、叶う願いは一つだけとのこと。境内にそびえる樹齢千年のイブキビャクシンの大木の下には仏手石・仏足石が安置されており、前者は智慧や技能に、後者は健脚や交通安全に御利益があるとされる。大木は大師が加持したとされ、市の天然記念物に指定されている。大木の根本には延命豊作に霊験があるという籾大師が祀られている。その近くには説法石が置かれ「おかけください。霊鷲山の石が埋め込んであります」と書かれている。また仏手花判という仏様の指紋を彫った石もあり、撫でながら心身堅固と分筆達成を念ずると叶うとされる。さらには人間に降りかかる九つの災難を遠ざけるための加持を施したとされる巨石「九横封じの石」もある。九つの災難とは「不治の病に患る、暴力非行に会う、淫酒に耽れる、火傷傷をおう、水難にあう、獣蛇に咬まれる、崖から転落する、毒呪に中る、渇き飢える」ことである。寺に入る石段の左側には正岡子規の句碑「永き日や衛門三郎浄瑠理寺」がある。この辺りがお遍路の元祖とされる衛門三郎ゆかりの地であることによる。境内はイブキビャクシンやモミなどの古木・大木にうっそうと覆われており、蒼林の中に堂宇がひっそりと佇むといった感じで印象深い。境内はさほど広くないが、数々の奇石をはじめ見どころたっぷりの寺であり、境内はさながら「ご利益の万屋(よろづや)」といった様相を呈している。岩屋寺からは久万高原を通り抜け、標高702mの御坂峠を越える。峠からは道後平野とその中に浮かぶ松山城、その向こうに穏やかな瀬戸内海が遠望出来る。寺は松山市八ヶ寺の打ち始めの霊場であり、ロードバイクで廻るにはちょうど手頃な距離である。

御詠歌 極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし

御本尊 薬師如来

真言 おん ころころ  せんだりまとうぎ  そわか

f:id:sikimidaigarden:20210621064955j:plain

f:id:sikimidaigarden:20210621065013j:plain