ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

川より低い水郷の寺 愛媛県松山市「西林寺」(その57)

第四十八番札所 清滝山  西林寺

(せいりゅうざん  さいりんじ)

住所 松山市高井町1007

電話 089-975-0319

文殊院から西林寺まで

距離  3.7km 標高差  ほぼ平坦

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文殊院から西林寺まで

天平十三年(741)行基聖武天皇の勅願により伊予に入り、国司越智玉純と共に一宮別当寺として堂宇を建立する。堂宇は現在の松山市小野播磨塚辺りの「徳威の里」にあり、本尊として十一面観音菩薩像を彫造して安置する。大同ニ年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際寺に逗留する。大師は国司越智実勝と協議して寺を現在地に移して四国霊場と定め、伽藍を再建し国家安泰を祈願する。寺には水にまつわる弘法伝説がある。この地を訪ねた大師がとある農家に立ち寄り、喉をうるおす水一杯を求める。しかし日照り続きで家は飲み水にもこと欠くありさまだった。老いた農夫が旅僧にしばらく待つように言い残して遠くの泉に出かけ、担いで来た水桶を大師に差し出す。大師はこの農夫の美しい心を哀れに思い、錫杖を大地に突き立てると静水があふれる。以後、静水は尽きることなく湧き出て淵となり、いつしか淵は「杖ノ淵」と呼ばれ寺の奥の院となる。寛永年間(1624〜44)の火災で堂塔が焼失。元禄十三年(1700)に松平壱岐守により一部再建、宝永四年(1707)には中興の祖覚栄法印が本堂と鐘楼堂を再興、江戸末期には大師堂と仁王門が復興を果たす。現大師堂は平成二十年に再建されたものである。寺の前には小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」とは刺し身のツマに使われる水草で、この辺りの清流に自生。松山市の天然記念物に指定されている。珍しいのは境内が川の土手より低いこと。それもあるのか、境内に邪悪な者が足を踏み入れると無間地獄に落ちると伝わり、寺は伊予の関所寺とされている。納経所前の庭園にある福授地蔵は、お詣りすると一つだけ願いを叶えてくれる。閻魔堂の前にある「孝行竹」は親竹と子竹が離れず生えており、家庭円満の象徴として信仰されている。寺には最古の四国遍路絵図である「四國偏禮繪圖」(宝暦十三年(1763))や「四国霊場記」(明治二十四年)が寺宝として保存されている。「杖ノ淵」は寺の西南300mの所にあり、杖ノ淵公園として整備されている。湧水池と日本庭園がある都市公園であり、名水百選に指定。時間があれば立ち寄ると良い。県道脇にある寺はコンパクトにまとまっており、きれいな境内である。川の土手より低い寺の造りは一度見たら忘れないと思う。

御詠歌 弥陀仏の世界を尋ね行きたくば 西の林の寺に詣れよ

御本尊 十一面観世音菩薩

真言 おん  まか  きゃろにきゃ  そわか

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