ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

聖徳太子が開創したお寺 愛媛県西条市「香園寺」(その72)

第六十一番札所 栴檀山  香園寺

(せんだんざん  こうおんじ)

住所 西条市小松町南川甲19

電話 0898-72-3861

横峰寺から香園寺まで

距離  13.2km 標高差  +32m  -789m

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横峰寺から香園寺まで

縁起によると、用明天皇(在位585〜87)の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子霊夢に導かれてこの地を訪れ、堂宇を建立したのが寺の開祖とされる。このとき太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来し、大日如来像を本尊として安置したとされ、後に寺は快癒した天皇から「教王院」の山号を賜る。天平年間(729〜49)には行基菩薩が訪ね、大同年間(806〜810)には弘法大師が巡錫する。ある日のこと、門前で身重の婦人が苦しんでいた。大師は栴檀(せんだん)の香を焚いて加持・祈祷するとたちまち安産となり、玉のような男子が生まれたという。これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納める。そして再び栴檀の香を焚き、女性の救済を願い「安産」「子育て」「身代わり」「女人成仏」の「四誓願」の護摩修法を行う。さらに脇仏の不動明王を彫像・奉納し、寺を四国霊場と定める。大師はこの時、寺を参拝する者の一切の罪障が無くなり、現在安穏・後世善処の仏果が得られるよう誓願したと伝わる。山号栴檀山はこの事績に由来する。以来、寺は安産・子育ての信仰を得て栄え、七堂伽藍と六坊を揃える大寺院へと発展するが、天正の兵火で焼失。江戸時代に入り小松藩主一柳家の帰依を得て寛永年間(1624 〜1644)に再興を果たす。明治三十六年に住職となった山岡瑞園大和尚により大正三年に本堂が再興される。住職は「子安講」を創始し、全国はもとよりアジア各国や米国まで行脚する。寺は「子安のお大師さん」と親しまれ、県立小松高校の前身となる子安中学を昭和十五年に創設するなど住職は教育活動にも尽力する。昭和五十一年に本堂は妙雲寺に移築され、その跡地に鉄筋コンクリート造りの大聖堂が建立される。大聖堂は本堂と大師堂を兼ね、二階の堂内で前立本尊と大師像が参拝できる。境内には聖徳殿が立ち、毎年二月には太子を偲ぶ法事が行われる。また、近くには子宝にご利益のある子安大師が立ち、背中にゴザを背負い、左手に赤ちゃんを抱いている。境内には旧日本兵を抱えた観音像も見られる。寺は四国霊場で唯一聖徳太子が開基したという屈指の古刹。四千坪を超える広大な境内を有する大寺院であるが、座席数六百余の大聖堂はさながら劇場のようで、一方の納経所はプレハブ小屋。このアンバランスは何とも言えず受け取り方は人それぞれか。寺は国道沿いにあり、第六十四番札所の前神寺までは平坦で、それぞれの距離もごく近い。深山霊山の大ボスをお参りした後は、ロードバイクでもスーパーカブでも四寺をサクッと回れるのが嬉しい。

御詠歌 後の世を思えば詣れ香園寺 止めて止まらぬ白滝の水

御本尊 大日如来

真言 おん  あびらうんけん  ばざらだどばん

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