第六十三番札所 密教山 吉祥寺
(みっきょうざん きちじょうじ)
住所 西条市氷見乙1048
電話 0897-57-8863
宝寿寺から吉祥寺まで
距離 1.4km 標高差 ほぼ平坦
弘法大師がこの地を巡教したのは弘仁年間(810〜824)のこと。大師は一本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちていることを感得する。大師はこの霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って堂宇を建立、安置したのが寺のはじまりとされる。寺は貧苦からの救済を祈念し開創されたと伝わるが、毘沙門天は財産を守るとされ、七福神の一つ。妃の吉祥天は衆生に福徳を与えるとされ、そのニ尊の子が善膩師童子である。そのころの寺は、現在地より南東に位置する坂元山にあり、広い寺域に塔頭を二十一坊ほど有していた。しかしながら、天正十三年(1585)豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれて全山を焼失。江戸時代に入り、万治ニ年(1659)に末寺であった檜木寺と合併し、現在の地に移り再建を果たす。本尊は「米持ち大権現」と呼ばれて農家の信仰が篤く、毎年一月には餅を持って参拝するのが習わしとされる。寺宝に非公開の「マリア観音像」がある。高さが30cmほど、純白の美しい高麗焼の像だが、伝来の由縁が興味深い。土佐沖で難破したイスパニア船の船長が長宗我部元親に贈ったもので、元親はマリア像と知らず、吉祥天のように美しい観音像として代々伝え、徳川幕府のキリスト教禁令にも難を逃れたという。寺には他に鎌倉時代の「十二天屏風」、室町時代の「山越阿弥陀三尊像」が保存されている。境内のお迎え大師の右横には脇侍である吉祥天女の像がある。寺前の由来であり、あらゆる貧困を取り除き大富貴をもたらす天部の仏様である。この像の下をくぐるとご利益があるされ、「くぐり天女」の名で親しまれている。優雅な立ち姿が印象的で、寺の手拭いでは吉祥天女が七福神に囲まれ微笑んでいる。柴色の鮮やかなデザインで描かれており、購入をお勧めしたい。手水鉢の右横にある高さ1mほどの石は成就岩と言われ、石の穴に金剛杖を通せば願いが叶うとされる。四国霊場の中で、本尊を毘沙聞天とする札所はここ吉祥寺だけ。北方世界を守護する四天王の一尊で、多聞天とも呼ばれる。ムカデは毘沙門さまのお使いと言われるが、この地方でもムカデは見つけても殺さず逃がすという。京都や奈良では寺の御札や絵馬、提灯にムカデの絵を書き添える寺もあり、興味のある方は調べてみればよい。寺は国道沿いにあり、入ると立派な本堂が目に飛び込んでくる。塀の外は大型トラックが幾重も通り過ぎるが、寺に入ると意外と静かで気にならない。伊予の巡礼も残り僅かであり、心安らかにお参りしたい。山門の前にロードバイク用のサドルスタンドが置いてあり、うれしい気分。
御詠歌 身の中の悪しき悲報を打ちすてて みな吉祥を望み祈れよ
御本尊 毘沙門天
御真言 おん べいしら まんだや そわか