第六十四番札所 石鉄山 前神寺
(いしづちざん まえがみじ)
住所 西条市洲之内甲1426
電話 0897-56-6995
吉祥寺から前神寺まで
距離 3.2km 標高差 ほぼ平坦
天武天皇(在位673~86)の時代、修験道の祖・役行者小角が石鎚山で修行を積んでいるときのこと。釈迦如来と阿弥陀如来が衆生の苦悩を救済するため石鈇山蔵王権現となって現われたことに感得した小角が、その姿を刻んで祀ったのが寺の始まりとされる。権現とは衆生を救うために色々な姿となって現れる仏や菩薩のことをいい、神仏習合のこの時代では神も仏も同じように崇められていた。その後、桓武天皇(在位781~806)が病気平癒を祈願。成就を果たしたことから七堂伽藍を建立し、勅願寺「金色院・前神寺」の称号を下賜する。以降、文徳天皇、高倉天皇、後鳥羽天皇、順徳天皇など歴代天皇の信仰を篤く受ける。後に弘法大師も石鎚山を二度巡鍚し、虚空蔵求聞持法や護摩修行、断食修行などを行う。大師が二十四歳のときの著書「三教指帰」には「或時は石峯に跨って粮(かて)を絶ち轗軻(かんか)たり」と苦行難行の様子が記されている。慶長十五年(1610)には豊臣秀頼が神殿を修築、福島正則がその普請奉行となる。江戸時代には西条藩主松平家の祈願所となり、三つ葉葵が寺紋として下賜されるなど寺運は隆盛を極める。その後の明治維新の神仏分離令により寺領は没収され、前神寺があった石鎚山七合目付近の場所には石鎚神社が建立される。寺は廃寺を余儀なくされるが、明治二十二年に東に数百メートル離れた旧讃岐街道沿いの現在地にて前神寺として復興を果たす。石鎚山(標高1982m)は日本七霊山の一つで、山岳信仰の山として古くから崇拝されてきたが、石鎚山は山自体が御神体のため、人々は麓の霊場にて参拝するのが慣わしとなっていた。寺は真言宗石鈇派の総本山であり、修験道の根本道場である。ちなみに修験道とは日本古来の山岳宗教に神道や仏教、道教などが混合した仏教の一つであり、白装束に身を包んだ信者は滝や川で身を清め、山にこもって厳しい修行を行う。その後本堂は本尊とともに火災で焼失するが、昭和四十七年に再建され、本尊も新造される。屋根は青い銅板葺きで、権現造りの荘厳な構えを見せる。本堂より上に建つ石鈇権現堂は石鈇山蔵王大権現を祀る。三体の蔵王権現像が毎月一度開帳され、尊像に体の悪い部分を当て平癒を祈念する。本堂へ向かう途中の石段右手にある御滝不動尊はかつて滝打修行が行われていた場所。一円玉を投げ岩肌に張り付くとご利益があるとされる。寺の参道には鬱蒼とした杉檜や古い灯篭が数多く立ち並ぶ。境内にも老杉が生い茂り、深山幽谷の佇まいを見せる。左右の渡り廊下を従えた本堂はさながら鶴が翼を広げたようで、堂宇に囲まれた広い空間とその裏手に広がる山々の姿は荘厳たる霊場そのもの。これで市内のお寺回りも終了。西条は地下からの自噴水があちこちから湧き出る「水の都」であり、時間があれば最寄りのアサヒビール四国工場へ立ち寄ることをお勧めしたい。
御詠歌 前は神後は仏極楽の よろずの罪をくだくいしづち
御本尊 阿弥陀如来
御真言 おん あみりた ていぜい からうん