ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

七日灯明とヒャッカうどんのお寺 香川県三豊市「大興寺」(その82)

第六十七番札所 小松尾山  大興寺

(こまつおざん  だいこうじ)

住所 三豊市山本町辻4209

電話 0875-63-2341

箸蔵寺から大興寺まで

距離  19.5km 標高差  +348m  -430m

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箸蔵寺から大興寺まで

縁起によると、天平十四年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺の末寺として、現在地より約1キロ北西に建立されたのが寺の始まりとされる。境内からは奈良時代の遺物が出土しており、この縁起を裏付けている。その後、弘法大師延暦十一年(792)に四国巡錫で寺を訪ね、弘仁十三年(822)には嵯峨聖帝の勅願を受けて再度訪れ、本尊に薬師如来、脇侍に不動明王毘沙門天を刻んで堂宇を建立・安置する。以後、寺は天台・真言二つの密教の兼学修行道場として興隆を誇り、最盛期には七堂伽藍を備え、境内には真言宗二十四坊、天台宗十二坊の僧堂を連ねる。しかしながら、天正の兵火により一部を残して全焼、慶長年間(1596〜1615)に再建されたが再び焼亡し、本堂は寛保元年(1741)に再建される。北四国の霊場は大半が長宗我部元親の兵火に焼かれており、大将元親は後世に大きな悪名を残すこととなる。讃岐や阿波では多数の文化財が灰に帰したと惜しまれている。現在の寺は真言宗であるが、往時は真言天台二宗が兼学したため、境内には天台宗の影響が大きく残る。本堂に向かって左側にある弘法大師堂とともに、右側には天台宗第三祖智顗を祀る天台大師堂が配置されている。また本尊脇侍は不動明王毘沙門天であるが、不動明王は天台様式となっている。本尊の藥師如來坐像は平安後期作で檜寄木造り。天台大師坐像は鎌倉時代後期建治ニ年(1276)の銘がある檜寄木造り。天台大師の彫像は極めて少なく貴重な存在。弘法大師坐像も同じ建治ニ年の作で、四国最古の銘のある弘法大師像である。仁王門にある雄渾な二つの金剛力士立像は運慶の作であり、八十八霊場の中で最大である。「大興寺」と記された黒塗りの扁額には文永四年(1267)の年号と「従三位藤原朝臣経朝」の裏書きがある。病気平癒祈願の礼として送られてきたものだという。本堂で行われる「七日灯明」は赤いロウソクに願いを書き、それを七日間灯し祈祷していただくもの。病気平癒、安産、良縁などにご利益がある。石段の脇にそびえるカヤとケヤキの大木が見事である。カヤは大師が種をまき、ケヤキは苗を手植えしたと伝わる。寺は讃岐山脈を背景とする田園地帯、小高い丘の上に立つ。山門の前には農業用水路が流れ、日本の原風景を見るようなのどかさ、懐かしさを感じる。寺のある地は小松尾と呼ばれ、このため地元の人は寺を小松尾寺と呼ぶ。年寄りに「大興寺はどこか」と尋ねても分からないらしい。讃岐の札所らしく、4月の第3日曜日には「ヒャッカうどん」の接待が行われる。102歳まで接待役を務めた名物おばあちゃんの遺志を受け継いだおもてなしで、地元民によるもの。ちなみに「ヒャッカ」とは、マンバとも呼ばれる高菜の一種。お遍路は春こそがベストシーズン。上手く巡り合えば至福のひとときとなる。

御詠歌 植えおきし小松尾寺を眺むれば 法の教えの風ぞふきぬる

御本尊 薬師如来

真言 おん  ころころ  せんだり まとうぎ  そわか

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