ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

萩の花が咲き乱れる寺 香川県観音寺市「萩原寺」(その83)

別格第十六番札所 巨鼇山  萩原寺

(きょごうざん はぎわらじ)

住所 観音寺市大野原町萩原2742

電話 0875-54-2066

大興寺から萩原寺まで

距離  6.2km 標高差  ほぼ平坦

大興寺から萩原寺まで

縁起によると大同二年(807)、弘法大師寺を開創する。この時、大師は千手観音とニ体の地蔵菩薩像を刻み、千手観音は第六十六番札所の雲辺寺に、地蔵菩薩は当寺に安置する。寺は雲辺寺の末寺で、同じ山号を用いている。延喜三年(903)に醍醐天皇の勅旨談義所となり、天慶ニ年(929)には朱雀天皇が讃州四箇談義所に定める。鎌倉時代雲辺寺が火災による被害を受けた際には、末寺の当寺が寺務を執り行ったという。また、室町時代の応永年間(1394〜1428)には伊予の守護職河野家の帰依を受けた真恵上人が当寺で寺務を執り行い、雲辺寺を再興する。この頃から本末の関係が入れ替わり、雲辺寺が本寺の末寺となったとの記述もあるが、定かではない。享徳ニ年(1453)には讃岐の守護職細川家の帰依を受けた慶恵が入寺し、堂宇を本格的に整備する。明応ニ年(1492)の記録には、讃岐、伊予、阿波に二百八十余寺の末寺を従える大寺であると記されている。その後、長宗我部の兵火で寺は焼失するが、豊臣秀吉に讃岐の国を与えられた生駒親正が讃岐十五箇院を定めて真言宗寺院を保護。この十五箇院は当寺以外に八十八霊場では本山寺道隆寺国分寺白峯寺が含まれ、これにより寺は再興を果たす。萩原村の地蔵院と呼ばれた寺は、慶長年間(1596〜1615)の頃には現在の寺名を用いるようになる。寺の宝物館には、国の重要文化財に指定されている「急就章」「法華曼陀羅図」「観経曼陀羅図」のほか、数百点におよぶ寺宝が納められている。このうち「急就章」は大師の真筆とされる。境内には本堂、仁王門、大師堂、客殿、宝物館など九つの堂宇が建ち並び、秋の七草の一つである萩(ハギ)がいたるところに植えられている。寺は県内有数の萩の名所であり、別名「萩寺」と呼ばれる。九月中旬から下旬には30種類、約2,500株の萩の花が咲き乱れ、多くの見物客や参拝客の目を楽しませる。普段の寺は別格の寺院らしく参拝者はまばら。納経所も普段は留守がちで、呼ぶと子供を連れた係の人が対応してくれるなど、素朴で温かい寺である。大人数のお遍路さんがマイクロバスで乗り付けて来る寺より、こうした小ぢんまりした寺の方が何故かほっとする。讃岐の寺らしく周囲にはため池が多い。寺のすぐ南にある井関池の堤防には千株のツツジが植えられ、池と寺の間には桜の名所で知られる五郷山公園がある。ロードバイクで少し足を伸ばせば、春秋いずれでも楽しいお花見ができる。

御詠歌 尊くも火伏をちかふ地蔵尊 はぎの御山に世を救ふらむ

御本尊 地蔵菩薩

真言 おん  かかかびさんまえい  そわか