ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

地獄の釜が煮えたぎるお寺 香川県高松市「一宮寺」(その102)

第八十三番札所 神毫山  一宮寺

(しんごうざん  いちのみやじ)

住所 高松市一宮町607

電話 087-885-2301

香西寺から一宮寺まで

距離  8.9km 標高差  ほぼ平坦

香西寺から一宮寺まで

縁起によると大宝年間(701〜704)、法相宗の祖・義淵(ぎえん)僧正が寺を開基したと伝わる。義淵は奈良仏教の礎を築き、行基東大寺初代別当の良弁僧正を教えたことで知られる高僧である。年号にちなみ寺を大宝院と称する。和同年間(708〜715)、諸国に一宮寺が建立された際、田村神社が讃岐一宮として建立され、寺はその別当となる。その後、行基が堂宇を修築し、寺名を一宮寺へと改める。大同年間(806〜810)に弘法大師が寺を訪れ伽藍を整備。聖観世音菩薩を刻んで本尊とし、真言宗へと改宗する。寺は天正の兵火により灰燼へと帰するが、中興の祖とされる宥勢大徳により再興される。江戸時代に入ると、高松藩主により寺は田村神社別当を解かれることとなり、現在地へと移転する。明治初期の神仏分離よりも200年も前に、本寺では神社との分離が行われたこととなり興味深い。寺の本堂左手には薬師如来を祀る小さな祠がある。「地獄の釜」と呼ばれ、祠の底から地獄の釜の煮えたぎる音が聞こえるという。この祠は、頭を入れると境地が開けるが、悪いことをした者が頭を入れると扉が閉まり、頭が抜けなくなると伝わる。昔、近くに暮らす意地悪のおタネ婆さんが「そんなことはない」と頭に入れると扉が閉まり、ゴーという地獄の釜の音が聞こえ頭が抜けなくなる。怖くなったおタネ婆さんは今までの悪事を謝ると頭がすっと抜け、以来おタネ婆さんは心を入れ替え、人々から慕われるようになったという。境内にはクスノキの大木が本堂と大師堂を覆うように茂り、葉の緑色がとても美しい。山門の両脇にある仁王尊立像は京都の仏師・赤尾右京の作。旅の道中安全を祈願する大わらじが奉納されている。駐車場は山門の反対側にあるので、知らずに入ると本堂の裏から入ることとなる。寺のすぐそばに県立高松南高校があり、自転車登校する生徒たちが走り去る。寺の参拝は地味な高齢者が多いため、それと対照的に若い子の制服姿がみずみずしく見える。どこの寺もそうだが、寺域は霊気の漂う異次元の世界。一歩駐車場に出ると普段の生活の場へと戻る。昭和の時代に「異邦人」という歌が流行ったが、霊場巡りこそ「遍路=異邦人」の孤独とその楽しさとを手軽に味わうことが出来る、最高の旅なのかも知れない。ロードバイクをこぎながら、思わず久保田早紀の歌を口ずさんでしまった。

御詠歌 讃岐一宮の御前に仰ぎきて 神の心を誰かしらゆう

御本尊 聖観音

真言 おん  あろりきゃ  そわか