ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

移転と寺名改称を繰り返したお寺 香川県高松市「香西寺」(その101)

別格第十九番札所 寶幢山  香西寺

(ほうどうざん  こうざいじ)

住所 高松市香西西町211

電話 087-881-2337

根来寺から香西寺まで

距離  7.2km 標高差  +12m  -377m

根来寺から香西寺まで

寺は天平十一年(739)に行基により創建される。初めは勝賀(かつが)山の山中にあり、宝幢山勝賀寺と号した。弘仁八年(817)には弘法大師が寺を現在の地へと移転し、地蔵菩薩を刻んで安置する。行基が開創した元の地は奥の堂と称されるが、勝賀山の北麓にて奈良期の瓦が出土する古代寺院跡が発見されたことから、この地が奥の堂であったと考えられている。寺は嵯峨天皇(在809〜823)の勅願寺に選ばれ、千貫の寺領を賜る。天慶年間(938〜947)には談議所に選定され、僧侶の学問研鑽の場として栄える。鎌倉期の貞応元年(1222)、この地の守護職である香西資村が将軍九条頼経の命を受けて堂塔を修繕し、寺名を香西寺へと改める。南北朝時代には室町幕府守護大名細川頼之が寺を本津に移し、その後、香西家第十一代の当主である香西元資が寺号を地福寺へと改称する。天正の戦火により伽藍は灰塵へと帰すが、讃岐国の国主となった生駒親正が再建し、寺名を高福寺へと改める。満治元年(1658)には失火で焼失し、現在の地へと移転する。寛文九年(1669)には藩主の松平頼重公が伽藍を再建し、別格本山香西寺と改称する。その後当時の七堂伽藍はほとんど失火で焼失し、現在の建造物はその一部である。このように寺は場所を三回移転、寺名を四回改称しており、四国霊場の中でもこうした複雑な変遷は稀である。大きなワラジのかかった山門をくぐって一直線に進むと本堂がある。本堂の右側には毘沙門堂があり、国の重要文化財に指定されている毘沙門天立像が祀られている。藤原時代の弘仁仏としては全国的にも逸品とされる。更にその右手には大師堂兼護摩堂がある。少し下ったところにある納経所は閻魔堂と同じ建物。堂内には仏足跡があり、その上から閻魔大王を巡拝祈願が出来る。寺は香西町の町中にあるが、少し奥まったところにあり意外と静か。境内も思った以上に広く開放的である。また、納経所には色々なものが所狭しと販売されており、見ていると別格霊場ならではの楽しさがある。別格霊場巡りも残りあと一寺で、残るは大ボス級の山寺・大瀧寺。いつものことだが、山寺巡りの後にこうした町中の寺に来るとなぜかほっとする。香西町の街並みとともに、境内の景色をしっかりと目に焼き付けておきたい。

御詠歌 南無大悲延命地蔵大菩薩 みちびきたまへこの世のちの世

御本尊 延命地蔵菩薩

真言 おん  かかかびさんまえい  そわか