ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

眼なおし薬師のお寺 香川県多度津町「道隆寺」(その95)

第七十七番札所 桑多山  道隆寺

(そうたざん  どうりゅうじ)

住所 仲多度郡多度津町北鴨1−3−30

電話 0877-32−3577

神野寺から道隆寺まで

距離  17.2km 標高差  ほぼ平坦

神野寺から道隆寺まで

縁起によると、和銅五年(715)、この地方の領主和気道隆が、周囲5m近い桑の大木が夜ごと妖しい光を放っているのを見る。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴が聞こえ乳母が倒れて死んでいた。これを嘆き悲しんだ道隆がその桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造。草堂に安置し、供養したのが寺の始まりとされる。不思議なことに、この乳母は供養が終わると生き返ったという。大同ニ年(807)、道隆の子・朝祐の懇願により、唐から帰朝した弘法大師薬師如来像を彫造。道隆が造った像を胎内に納めて本尊とする。朝祐は大師から授戒を受けて第ニ世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立。寺名を父の名から「道隆寺」と号する。第三世住職は弘法大師実弟にあたる真雅僧正(法光大師)、第四世住職は円珍(智証大師)。円珍五大明王と聖観世音菩薩像を彫造して護摩堂を建立。高僧が相次ぎ寺勢は栄えたが、貞元年間(976〜78)の大地震による堂塔の倒壊や康平三年(1060)の兵火、天正の兵火に遭うなど寺は興亡をくり返す。寺は山門を入ると一番奥に本堂があり、その手前の大師堂、納経所がある。小さい祠が多く見られ、本堂を取り巻くように点在している。寺は「眼なおし薬師」として知られる。境内左奥にある潜徳院御堂は江戸時代後期の丸亀藩典医、京極左馬造の墓所である。左馬造は盲目だったが、薬師如来の霊験で視力が回復し、御典医として活躍したという。眼病の平癒祈願に多くの人が訪れ、「目」と書いた札を奉納する。寺宝である鎌倉時代の絹本著色「星曼荼羅図」は国指定重要文化財に指定。星曼荼羅とは北極星や北斗七星などを表した図象画で、星の供養することで天変地異や疫病などの災いを払おうとするもの。寺の境内にある妙見社では、毎年三月七日と八日に星供養が行われる。寺は多度津町の町中にあるが、山門をくぐるとブロンズの観音像がずらりと並んで迎えてくれる。西国三十三箇所坂東三十三箇所秩父三十四箇所の百観音のほか、各地の観音像が全部で二百五十五体祀られているという。境内には衛門三郎・大師像や、なでると健康で長寿になれる寿老人像もあり、賑やかで開放的な寺である。多度津は昔から交通の要所で、予讃線土讃線の分岐点である。このため駅には全ての特急列車が停まるが、駅前の商店街は少々寂しい。讃岐うどんの店は各所に点在するので、気楽にポタリングしながら探すのがよい。

御詠歌 ねがいをば 仏道隆に入りはてて 菩提の月を見まくほしさに

御本尊 薬師如来

真言 おん  ころころ  せんだりまとうぎ  そわか