ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

大師生誕の地に建つお寺 香川県善通寺市「善通寺」(その92)

第七十五番札所 五岳山  善通寺

(ごがくざん  ぜんつうじ)

住所 善通寺市善通寺町3-3-1

電話 0877-62-0111

甲山寺から善通寺まで

距離  1.6km 標高差  ほぼ平坦

甲山寺から善通寺まで

唐から帰朝した弘法大師が先祖の菩提を弔うため、地元の豪族であった父・佐伯田公が寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安青龍寺を模して建立したのが寺の始まりとされる。大同ニ年(807)に斧始めを行い、六年近い歳月をかけて金堂、講堂、法花堂など十五堂宇を建立する。寺名は父の諱(いみな:現在の戒名に相当)「善通」をとって「善通寺」と称する。山号の五岳山は、香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五つの山の麓にあることに由来する。平安時代後期には弘法大師信仰が全国で広まり、鎌倉時代には天皇上皇からの庇護や荘園の寄進を受け寺勢を拡大する。永禄元年(1558)三好軍の兵火に遭い伽藍が焼失するが、讃岐国城主の生駒家の寄進を受け復興。その後は高松松平家、丸亀京極家らの庇護を受け大いに発展する。鎌倉時代には大師誕生の地である佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは善通寺と誕生院のそれぞれに住職を置く別々の寺であったが、明治時代には善通寺として一つの寺となる。東京ドームとほぼ同面積と言われる広大な境内は、堀と公道をはさんで「伽藍」と称される東院と「誕生院」と称される西院に分かれる。東院には、日露戦争の戦勝を記念して再建された南大門、元禄十二年(1699)に再建された金堂、高さ43mの五重塔、江戸時代作の釈迦如来坐像を拝顔できる釈迦堂などがあり、一方の西院には南北朝時代作の金剛力士像が睨みをきかせる仁王門、弘法大師の御誕生所とされる佐伯家の邸宅跡に建つ御影堂(大師堂)、空海が誕生の折に産湯として用いられた井戸(産湯井)、多くの寺宝が展示された宝物館などがある。 特に宝物館には、大師の書とされる国宝の一字一仏法華経序品や唐から持ち帰ったとされる同じく国宝の金銅錫杖頭、国の重要文化財である吉祥天立像、地蔵菩薩立像などが収蔵されている。本尊の薬師如来坐像は像高3mにも及ぶ巨像で、元禄十三年(1700)に御室大仏師北川運長により造像されたもの。御影堂の地下には約百mの「戒壇めぐり」があり、暗闇の中御宝号を唱えながら大師と結縁する道場となっている。境内には大師誕生の頃から繁茂していたと伝わる楠の大木がある。寺は和歌山の高野山、京都の東寺とともに、弘法大師三大霊場の一つであり、真言宗善通寺派の総本山。境内はとにかく広く、土産物屋も立ち並んで見どころが満載。観光客も多く、かつて修学旅行で訪れた京都や奈良の有名寺院に突然やってきたような感じである。十二月に参拝した際には寺がウオークラリーのゴールとなっており、運営スタッフとともに境内はごった返していた。とは言え、出場者に振る舞われた豚汁のお裾分けを頂いたので、寒風吹きすさぶなか身も心もほっかほか。寺は荘厳たる大師生誕の地であり、そうした雰囲気を味わうのであれば、観光客の少ない朝晩を狙うのがお勧め。時間に余裕を持って参拝するのが良い。

御詠歌 我すまばよもきえはてじ善通寺 ふかきちかいの法のともしび

御本尊 薬師如来

真言 おん  ころころ  せんだりまとうぎ  そわか