ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

大師七歳にて仏門を目指し捨身を決意したお寺 香川県善通寺市「出釈迦寺」(その90)

第七十三番札所 我拝師山  出釈迦寺

(がはいしざん  しゅっしゃかじ)

住所 善通寺市吉原町1091

電話 0877-63-0073

曼荼羅寺から出釈迦寺まで

距離  0.6km 標高差  +47m  -0m

曼荼羅寺から出釈迦寺まで

弘法大師がまだ「真魚」と呼ばれていた七歳の時。当時は倭斬濃山(わしのやま)と呼ばれていた我拝師山に大師は登り、「我は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救わん。我が願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じる。すると紫雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り大師を抱き止め、「一生成仏」と告げる。願いが叶った大師は、青年になると再びこの地を訪れ、釈迦如来の姿を刻んで本尊として安置。堂宇を建立して出釈迦寺と名付け、山名を我拝師山へと改め寺の山号とする。大師が身を投げた断崖は「捨身ヶ嶽(しゃしんがたけ)」と呼ばれ、境内から急坂を50分ほど上がった場所にある。元は札所であったが、今は寺の奥の院となっている。大師はこの地で虚空蔵菩薩真言を百万回唱える「求聞持法」を修めたとされ、ここで拝むと素晴らしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があると言われる。大師が身を投じたとされる岩場と絶壁は更に50mほど登った場所にあり、鎖禅定となっている。絶壁の上には石の護摩壇が築かれ、稚児大師像が安置されている。下を見れば足のすくむような深い谷底だが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海が一望できる。境内には捨身ヶ嶽の遥拝所があり、石碑には身を投げる大師とそれを救う釈迦如来と天女の姿が描かれている。ここで念仏を唱えると、捨身ヶ嶽禅定に登ったのと同じご利益があるとされる。また、境内には求聞持大師像があり、真言を唱えながら願うと記憶力が得られるという。寺は曼荼羅寺からみかん畑の斜面を登るとすぐに着く。階段を登ると景色が開け、多度津や丸亀の市街地が見えてくる。弘法大師にまつわる寺伝は各霊場様々であるが、ここ出釈迦寺は大師が仏門に入るきっかけとなった伝説の地。他の寺の寺伝とは少々格が違うといった感じである。せっかくだから奥の院まで、と言いたいところだが、他のガイドブックでも40分はかかるという。大師は修行により物事を一度見聞きすると全て記憶したというが、記憶力アップを願うのであれば一度願掛けに登ってみるのもよい。山道を歩いた後は、道端に置かれた無人販売のミカンがとても美味しく感じられるだろう。

御詠歌 迷いぬる六道衆生すくわんと 尊き山に出づる釈迦寺

御本尊 釈迦如来

真言 のうまく  さんまんだ  ぼだなん  ばく