ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

大師が護符を投げた伝説が今に伝わるお寺 香川県さぬき市「長尾寺」(その106)

第八十七番札所 補陀洛山  長尾寺

(ほだらくざん  ながおじ)

住所 さぬき市長尾西653

電話 0879−52−2041

志度寺から長尾寺まで

距離  6.9km 標高差  ほぼ平坦

志渡寺から長尾寺まで

縁起によると、天平十一年(739)行基がこの地を訪れると道端の楊柳(ようりゅう)に霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造して堂宇を建立、本尊として安置する。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法、国家安泰と五穀豊穣を祈願する。祈祷の七日目の夜、大師が護符を丘の上から人々に投げ与えたとの伝説があり、これが毎年正月の七日の「大会陽(だいえよう)」の行事として今に伝わる。この日は境内で福餅が投げられ、重さ160kgの大鏡餅を力自慢の若者が競って運ぶ競技が盛大に行われる。天長ニ年(825)唐より帰朝した大師は大日経を一石に一字ずつ書写して供養塔を設立。寺の伽藍を整え真言宗へと改宗する。その後、天正の兵火で堂宇は灰塵に帰すが、慶長年間(1596〜1615)に国主・生駒家によって寺は再興され、寺名を長尾観音寺と称される。天和元年(1681)には藩主松平頼常が堂塔を寄進し、天台宗へと改宗する。元禄六年(1693)には寺領が与えられ、寺名が観音院長尾寺へと改められる。なお、寂本の「四国偏礼霊場記(1689年刊)」には、寺は聖徳太子が創建したとされているが、寺伝にはこうした記録はないようである。寛文十年(1670)に建立された山門は日本三大名門の一つであり、三つ棟木という珍しい工法で造られている。鐘楼門の前に立つ二基の経幢鎌倉時代の作。元寇の役に出役した将兵の慰霊碑であり、国の重要文化財に指定されている。昭和二十九年に指定されるまでは、門前の馬や牛をつないでいたという。本堂の左脇には静御前の剃髪塚がある。静御前源義経と別れた後、母の磯禅師と共に当寺を訪れ、得度した後に髪を埋めたと伝わる塚である。境内はいたって広く、1haの面積に及ぶという。明治以降、寺が学校や警察、郡役所などの公共施設に供されたというのもうなずける。今は地域コミュニティの場であり、地元から「長尾の観音さん」として親しまれるなどいたって開放的な寺である。この開放感は、四国八十八霊場も残り一つという「心の軽さ」が反映しているような気がする。すれちがうお遍路さんにもどことなく明るい表情が漂う。寺は長尾町の中心にあり、典型的な門前町の様相を示す。楽しかったロードバイクによるお寺巡りもここでお終い。一歩裏手に入り、狭い路地に軒を並べる街並みをロードバイクで散策するのもよい。最後に訪ねた場所として、きっと良い思い出になると思う。

御詠歌 あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名をとなえよ

御本尊 聖観世音菩薩

真言 おん  あろりきゃ  そわか