ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

満濃池の修築を果たしたウサギのお寺 香川県善光寺市「甲山寺」(その91)

第七十四番札所 医王山  甲山寺

(いおうざん  こうやまじ)

住所 善通寺市弘田町1765-1

電話 0877-63-0074

出釈迦寺から甲山寺まで

距離  2.7km 標高差  ほぼ平坦

出釈迦寺から甲山寺まで

平安時代初期、弘法大師善通寺曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していると、甲山の麓の岩窟から一人の老人が現れる。老人は「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう」と言い立ち去る。老人がこの地の守護、毘沙門天の化身と悟った大師は、岩を割って毘沙門天像を刻み、岩窟に安置。堂宇を建立して像を祀ったのが寺の起源とされる。その後大師は、「満濃池」を修築する別当嵯峨天皇より任じられ、弘仁十二年(821)に再びこの地を訪ねる。「満濃池」は寺から南東に10kmほど下ったところにある日本最大のため池。八世紀初めに国司の道守朝臣が築造するが、たびたび決壊して付近の田畑に被害を与えていた。度々修復を試みるが、規模が大きすぎて人夫が足りず、朝廷が派遣した築池使さえも完成を見ることのない難工事であった。任に着いた大師は、甲山の岩窟で薬師如来像を刻んで修法し、工事の成功を祈願する。すると大師の徳を慕う数万人の農民が集まり、力を合わせて僅か三箇月で工事を成し遂げたという。朝廷はこの功績を称え、金二万銭を大師に与える。その一部は寺の建立に充てられ、刻まれた薬師如来は本尊として寺に安置される。大師は、山の形が毘沙門天の甲冑に似ていることから寺を「甲山寺」と名づける。天正の兵火により本尊と僅かの寺宝を残して焼失。その荒廃ぶりは「四国徧礼霊場記(1689)」に「むかし大伽藍の所といえども荒涼せり」と記されるほどであったが、その後本堂、大師堂が順次再建されて再興を果たす。本堂に安置された薬師如来像は高さ二尺五寸のヒノキの一木造り。大師堂の左手には奥行12mほど岩窟があり、毘沙門天像が祀られている。大師堂へ続く石段の隣には子安地蔵がある。子宝を願いながらお地蔵様の前掛けを持ち帰り、叶うと新しい前掛けをお地蔵様に納めるという習わしが今に残されている。薬師如来の脇侍である月光菩薩が左手に持つ月の中には、ウサギが描かれている。このことにちなみ、境内の各所には様々な表情をしたウサギが造られており、寺は別名「ウサギのお寺」と呼ばれる。ウサギは大門と中門、茶堂の瓦の上などに十六羽いて、正面をじっと見据えていたり跳びはねていたりと愛嬌のある姿を見せている。中でも、中門の上に立つウサギ瓦は江戸時代末期の作とのことで、その古さに驚かされる。納経所ではウサギの姿をデザインしたお守りやおみくじなども販売されており、ウサギ好きの方にはたまらないと思う。寺は緑豊かな甲山を背に、白壁に囲まれ建っている。境内がこじんまりとしているせいか、山が西側から覆いかぶさっているように見える。寺名そのままの雰囲気である。書いていて気づいたが、前々の曼荼羅寺から甲山寺までは、電話番号が番号順に並んでいて面白い。この辺りは大師が誕生し、幼少期を過ごしたという「御大師様のファン」にとって聖地とも言える場所。市内五寺はそれぞれが近いので、地元の讃岐うどんで腹ごなししながらロードバイクでのんびり回るのが良い。

御詠歌 十二神味方に持てる戦には おのれとこころ甲やまかな

御本尊 薬師如来

真言 おん  ころころ  せんだりまとうぎ  そわか