ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

別格の中の別格 みかん畑の上にそびえる大寺院 愛媛県大洲市「金山 出石寺」(その50)

別格第七番札所 金山  出石寺

きんざん  しゅっせきじ)

住所 大洲市豊茂乙1

電話 0893-57-0011

明石寺から出石寺まで

距離  34.9km 標高差  +846m  -323m 

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明石寺から出石寺まで

縁起によると寺の開創は養老二年(718)である。旧宇和郷田中庄の猟師作右衛門が狩りに出て、一頭の鹿を追いかけて山に登り、まさに鹿を射殺そうとして弓を引き絞ったところ、突如として暗雲が垂れ込め全山振動して光明赫赫と輝き、鹿の姿をかき消す。鹿の立っていた足下の岩が真二つに割れ、地中から千手観音菩薩地蔵菩薩の像が湧き出て金色の光を放つ。この奇瑞を目撃した作右衛門は、殺生を業とすることを悔い改め仏門に帰依し、名を道教と改める。そして仏像を本尊とし、堂宇を建立して出石寺と称する。平安時代前期、この地を巡錫で訪れた弘法大師は「三国無双の金山なり」と賛嘆し、後世この仏像が粗末に扱われ冥罰を蒙ることがないよう石室に密閉して秘仏とし、護摩供を修法したと伝わる。空海は金が産出することにちなみ当初の山号であった雲峰山を金山へ改称する。「空性法親王四国霊場御巡行記」には「要害守る出石寺大慈大悲の観世音、奇譚新たにありければ、四方の参詣群集して、折を疑し誓ひける」と記され、寺に多くの参詣者が集まる様子が描かれている。昭和十六年に大火に見舞われ伽藍が焼失するが、昭和三十一年に復興する。寺の銅鐘は朝鮮鐘と呼ばれ国の重要文化財に指定。高麗王朝の時代に朝鮮半島で鋳造されたもので、朝鮮出兵の際に藤堂高虎が持ち帰り寺に寄進したとされる。寺の境内には茶店があり、きつね、わかめ、椎茸が入った「出石寺うどん」が食欲をそそる。また作右衛門を導いたお手ひきの鹿像や牛の像もあり、参拝者をなごませる。寺の参道脇には約2kmにわたって三万本のあじさいが植えられている。山頂にあるため平地より開花時期が半月から一月ほど遅れるとのこと。境内の南側と北側には原生林が残っており、根回り11mのカツラをはじめとして、アカガシ、スギ、ケヤキタブノキ等の巨木・老木が茂る。寺は地元では「ハ工ヌケ」の観音さん、又は「おいずしさん」の別名で親しまれている。本堂は大師堂から更に166段登った標高812mの出石山(いずしやま)山頂に鎮座し、伊予灘を隔てて遥か中国、九州路を望み、背後には石鎚山大野ヶ原などの四国連山が一望できる。昭和の再建とは思えぬほど古色を帯び風格を備える。この後に巡る別格霊場にも幾つか出てくるが、何故この寺が八十八霊場ではなく別格なのかと思えるほど、この出石寺は荘厳な大寺院である。四国霊場巡りに別格霊場二十を加えつくづく良かったと思う。八幡浜から寺へはみかん畑の中の急坂を進み、眼下には波光きらめく宇和海、そして彼方に佐多岬が見える。途中には簡易な休憩場もあるので、ぜひ立ち寄りたい。

御詠歌 くもりなき二名の島の金山に みのりの光かがやくを見よ

御本尊 千手千眼観世音菩薩

真言 おん  ばさら  たらま  きりく

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