ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

四国八十八霊場で最も標高の高い山寺 徳島県三好市「雲辺寺」(その80)

第六十六番札所 巨鼇山  雲辺寺

(きょごうざん  うんぺんじ)

住所 三好市池田町白地ノロウチ763

電話 0883-74-0066

椿堂から雲辺寺まで

距離  23.5km 標高差  +950m  -164m

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椿堂から雲辺寺まで

縁起によると弘法大師雲辺寺に三度登っている。最初は延暦八年(789)大師が十六歳の時のこと。第七十五番札所の善通寺の建材を求めて登った際、霊山の深遠さに心打たれて一夜にして堂宇を建立したという。これが寺の創建とされる。ニ度目は大同ニ年(807)大師が三十四歳の時で、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法を行ったとされる。三度目は弘仁九年(818)大師が四十五歳の時で、嵯峨天皇の勅を受けて本尊の千手観音を刻み、仏舎利と毘廬遮那(びるしゃな)法印を山中に納めたとされる。寺は「四国坊」「四国高野」と称され、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となる。貞観年間(859〜877)には清和天皇勅願寺となる。承徳2年(1098)に火災で全山消失するが、その後、鹿を追い当地に入った猟師の与成が、樹上に現れた観音菩薩の威厳に心打たれて発心し、堂宇を再建する。鎌倉時代には七堂伽藍が整備され、十二坊と末寺八ヶ寺を有する大寺院として栄華を誇る。阿波・伊予・讃岐に接するため、寺は関所の役割も兼ねたともいう。天正年間(1573〜1592)には土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣して雲辺寺に参拝。四国制覇の野望を住職に打ち明けたところ、逆に諫められたという話はよく知られている。その後の寺勢には消長あるものの、江戸時代には阿波藩主・蜂須賀家の手厚い保護を受ける。本尊の木造千手観音坐像は檜の一本造りで、平安時代の作。不動明王像、毘沙門天立像、絹本著色聖衆来迎図と共に国の重要文化財に指定されている。境内には釈迦の弟子である等身大の五百羅漢像が全域に安置されている。境内の片隅、奥まったところにある腰掛けは「おたのみなす」と呼ばれ、願いを込め座ると叶うと伝わる。ロープウエー駅の前にある毘沙門天展望館は雲辺寺山の最高地点(927m)に建ち、屋上に立てば360度のパノラマを見渡せる。その近くには山頭火の句碑「石佛濡佛けふも秋雨」「雲辺や瀬戸の秋景ほしいまま」がある。寺は涅槃の道場、讃岐二十三寺の打ち始めとなるが、本堂の所在地は徳島県三好市。ロープウエーは発駅・着駅とも香川県観音寺市、車道は徳島県内の国道192号線側から登坂と少々ややこしい。寺は四国霊場の中で最高位(911m)に立ち、昭和六十二年にロープウエーが出来るまでは遍路ころがしの難所であった。寺は一日に一度は雨が降ると言われ、寺名のとおり晴れていてもすぐに雲が立ち込め霧に覆われる。第六十番札所の横峰寺と並ぶ山寺の大御所、四国霊場の大ボスである。寺へは国道から県道、そして林道のような狭くて急な坂道を延々と登り続ける。四国八十八霊場最高地点の寺だけあって、登りがいは十分。とは言え徳島県内の檀家は普通に軽自家用車で登ってくるので、さすが地元車、恐るべし。スーパーカブであっても地元優先、道は譲ってあげたい。

御詠歌 はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る

御本尊 千手観世音菩薩

真言 おん  ばさらたらま  きりく  そわか

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