第三十四番札所 本尾山 種間寺
(もとおざん たねまじ)
住所 高知市春野町秋山72
電話 088-894-2234
雪渓寺から種間寺まで
距離 6.5km 標高差 ほぼ平坦
寺の創建は古く、寺伝では六世紀末の用明天皇(585〜587)の頃とされる。大阪の四天王寺を造営するため、百済から多くの造仏工や寺造工が来日する。落慶して帰途の航海中、土佐沖で猛烈な暴風雨に襲われ、寺にほど近い秋山の港に寄港する。その際、帰路の航行安全を願って薬師如来坐像を刻み、近くの山頂に祀ったのが寺の起源とされる。それから二百年余を経た弘仁年間(810〜824)、この地を訪れた弘法大師が堂宇を建立し、仏師が刻んだ薬師如来坐像を本尊と定め寺を開創。大師は唐から持ち帰った五穀の種子(米、麦、あわ、きび、ひえ)を境内に蒔き、土地の豊穣を願い寺名を種間寺とする。天暦年間(947〜957)には村上天皇が藤原信家を勅使として「種間」の勅額を下賜する。歴代土佐藩主の庇護も厚く、広大な田畑や山林を寄贈。堂舎の修築も行われる。明治初期には廃仏毀釈で廃寺となるが、明治十三年に再興される。本尊は安産の守り本尊とされ、「安産の薬師さん」と呼ばれる。境内には子孫繁栄、安産を願う稚児を抱く子安観音があり、その周囲にはびっしりと底のない柄杓が並んでいる。安産を願う妊婦が柄杓を持ち参拝すると、寺では柄杓の底を抜き、二夜三日の安産祈願を行い家に持ち帰らせる。それを妊婦は床の間に飾り、無事出産すると柄杓を寺に納める。「底を抜いて通りをよくする」という土臭い信仰であるが、年齢が墨書された柄杓一つ一つに女性の苦しみと喜びが込められている。本堂の手前には延宝五年(1677)の作と伝わる古い手水鉢がある。寺は吾南平野の真ん中、春野の町中にある。高知では珍しいどこまでも続く平坦な道で、田んぼとビニールハウスが広がる。木陰がなく強い日差しが容赦なく照りつけるが、海風が吹くので暑さは幾らか和らぐ。幹線道路以外は地元の車も少なく、快適なサイクリングを味わえる。
御詠歌 世の中にまける五穀のたねまでら 深き如来の大悲なりけり
御本尊 薬師如来
御真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか