第二十三番札所 医王山 薬王寺
(いおうざん やくおうじ)
住所 海部郡美波町奥河内寺前285-1
電話 0884-77-0023
距離 18.2km 標高差 +170m -201m
聖武天皇の勅願を受けて神亀三年(726)に行基が本寺を創建する。弘仁六年(815)に平城天皇の勅命により弘法大師が厄除薬師如来を刻み、本尊を置き再興する。寺は官寺として厄除けの根本祈願所となり、嵯峨天皇や淳和天皇などの歴代天皇が勅使を遣わし厄除祈願を行っている。文治四年(1188)に火災により堂塔を焼失するが、この時、本尊自らが光を放ちながら奥の院である玉厨子山に向かって飛び去った。その後後醍醐天皇により堂塔が再建され、新たな薬師如来が安置されると、元の本尊が再び光を放ちながら堂塔へと飛来してくる。そして本尊が厨子へと後ろ向きに納まったことから「後ろ向き薬師」と呼ばれるようになり、以降本堂には本尊である薬師如来が二体祀られることとなる。本堂の裏側は裏堂と呼ばれ、秘仏である「後ろ向き薬師」に向かって拝む参拝者も多い。四国に赴いた土御門天皇は嘉禄二年(1226)にこの寺を行在所とし、また徳島藩主の蜂須賀家から寺領を賜るなど寺の繁栄が続く。薬王山は高野山真言宗の別格本山であり、厄除根本祈願所として全国的にも知られた厄除けの寺である。本堂に向かう石段は三十三段の女厄坂と四十二段の男厄坂からなり、賽銭を置きながら登り厄落としをするのが習わしである。本堂から本寺のシンボルである瑜祇塔(ゆぎとう)までの石段は六十一段の還暦厄坂という。真言密教の重要な経典の一つであり、天と地の和合を説く瑜祇経の教えを形にしたのが瑜祇塔で、本寺以外には高野山と淡路島にある。境内には、ラジウムを含んだ霊水が肺の病に効くという「肺大師」や漁業関係者がお参りに訪れる「魚藍観音」、真言を唱えながら数え年の数だけ鐘を叩いて厄災消除を願う「随求の鐘」がある。寺には紀州お接待講と呼ばれる接待がある。これは幕末の頃、四国巡礼に来た紀州藩士が薬王寺の山門にある庵を譲り受け、巡礼の労をねぎらうため始めたものである。現在もお接待所が建てられ、毎年彼岸には和歌山から世話人が訪れるという。境内からは日和佐の町並みと北河内谷川、遠くに日和佐湾が見える。この開放感が何とも清々しい。一番札所から順打ちして、二十三番札所でようやく海を見ることが出来たが、ここから先はうんざりするほど太平洋の大海原とお付き合いすることとなる。
御詠歌 皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬のあたえしませ
御真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか