ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

マリリンモンローの微笑みと空海の七不思議が伝わるお寺 高知県四万十町「岩本寺」(その42)

第三十七番札所 藤井山  岩本寺

(ふじいさん  いわもとじ)

住所 高岡郡四万十町茂串町3-13

電話 0880-22-0376

大善寺から岩本寺まで

距離  30.8km 標高差  +414m  -209m

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大善寺から岩本寺まで

天平年間(729〜749)、聖武天皇の勅令を受けた行基が七難即滅・七福即生を祈念し、現在地より北西にある仁井田明神の傍に建立。末寺七ヶ寺を有する寺は福圓満寺と言われていたが、仁井田明神の別当職(別当寺)であったため仁井田寺とも呼ばれる。弘仁年間(810〜824)にこの地を訪ねた弘法大師は仁井田明神のご神体を五つの社に分け、それぞれに不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置して星供の秘法を修する。大師は更に末寺五ヵ寺建立したことから、仁井田明神は「仁井田五社」寺は「十二福寺」と呼ばれる。天正の兵火で堂宇が焼失し、社寺ともに一時衰退。再建の際に現在地にある岩本寺に寺の法灯及び別当職が移転される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇る。明治の神仏分離で仁井田五社と寺は分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺へと統一されるが、廃仏毀釈の法難により寺領地の大半を失う。五つの本尊を有し、真言もそれぞれ唱えるのは四国八十八霊場でもこの寺のみ。幾つもの祭神を祀る神社にも通じる神仏習合の名残である。昭和53年に新築された本堂内陣の天井には、全国から公募により集まった花鳥風月から人間曼荼羅に至る575枚の格天井絵が彩る。マリリン・モンローの微笑も見られる。大師堂は二百年ほど前に造られ、境内では最も古い。寺には「空海の七不思議」が伝わる。大師の霊力で一年に七回花が咲き三度実がなるという「三度栗」、散った桜の花びらを加持したところ貝になったという「桜貝」、蛭に加持したところ血を吸わなくなったという「口なし蛭」、折れば安産となるサクラ「子安桜」、棘のある巻き貝「尻なし貝」、ねじ花の「筆草」、空海が泊まった庄屋の家には以降泥棒が入らないという「戸たてずの庄屋」の七話であり、参道では銘菓三度栗が参拝者に売られている。境内には珍しい円形の建物である歓喜天堂があり、商売繁盛や恋愛成就にご利益があるとされる。大師堂は奥の院である矢負い地蔵堂を兼ねる。この地に昔、信心深い猟師がいたが、いくら探しても獲物が見つからない。これ以上の殺生は無益と悟った猟師は自分の胸に矢を射るが、矢は地蔵に刺さり猟師は助かる。猟師の身代わりとなったのがこの矢負い地蔵であり、寺に篤く祀られたという。境内の裏手には土佐くろしお鉄道の線路が通り、中村行きの特急「アンパンマン電車」が線路をきしませ快走する。四万十町は仁井田米の産地。四万十川中流の盆地に位置するため、須崎からは七子峠を超えていくが、無料の高知自動車道が並走するため交通量は少なく快適。海から離れた山中を登るが、峠からは高知自動車道の白い高架橋とその向こうに太平洋が見え絶景である。近くには高知県民のソウルフード、ラーメン豚太郎の七子店があり、激坂を登った後の空腹を満たしてくれる。

御詠歌 六つのちり五つの社あらわして ふかき仁井田の神のたのしみ

御本尊 不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来薬師如来地蔵菩薩

真言 なうまく  さんまんだ  ざばらだん  せんだまかろしゃだ  そはたや  うん  たらた  かんまん(不動明王)、おん あろりきゃ そわか(観世音菩薩)、おん あみりたていぜい から うん(阿弥陀如来)、おん ころころ せんだり まとうぎ そわか(薬師如来)、おん かかか びさんまえい そわか(地蔵菩薩

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