ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

住職がカレーの味を決めるお寺 愛媛県西予市「明石寺」(その49)

第四十三番札所 源光山  明石寺

(げんこうざん  めいせきじ)

住所 西予市宇和町明石205

電話 0894−62−0032

仏木寺から明石寺まで

距離  16.7km 標高差  +329m  -256m 

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仏木寺から明石寺まで

その昔、美しい乙女が願をかけながら深夜に大石を山に上げていたが、天の邪鬼が鶏の鳴き声を真似たため、乙女は夜明けと思い消え去る。乙女は千手観音菩薩の化身であった。以来この地は千手観音菩薩がこもった霊地とされ尊崇されてきた。寺の元の寺名である「あげいしじ」はこの数奇な伝説に由来する。縁起によると、欽明天皇(532〜571)の勅願を受け、円手院正澄という行者が唐伝来の千手観音菩薩像を祀り、七堂伽藍を建立したのが寺の開創の起源とされる。のち天平六年(734)に寿元という行者が紀州熊野から十二社権現を勧請し、十二坊を建てて修験道の中心道場として法灯を伝承する。弘仁十三年(822)嵯峨天皇の勅命を受けた弘法大師がこの地を訪ね、金紙金泥の「法華経」を納めて荒廃した伽藍を再興する。鎌倉時代には源頼朝が建久五年(1194)に恩人である池禅尼の菩提を弔うため阿弥陀如来像を奉納し、経塚を背後の山に築く。この時、山号の現光山を「源光山」に改める。以来武家の帰依が篤く、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺が七十余寺を数えるほど隆盛を誇ったと伝わる。本堂外陣の天井絵は明治期のもので、唐破風の軒が柔らかい曲線を描く。境内にある「しあわせ観音石像」は源頼朝が建立した池禅尼の供養塔であり、大師堂の近くには夫婦杉という大木がそびえる。寺は古くから代々明石家の者が住職をつぐ世襲寺であるが、明治維新までは神仏習合で神殿には熊野権現を祀っていた。今は熊野神社となっている。駐車場の脇には比較的大きい売店があり、そこでは「明石寺カレー」が一袋300円で売られている。味は寺の住職が決めるとのことで、西予市ふるさと納税の返礼品となっている。牛肉が入る一般的なレトルトカレーであるが、包装の袋は黒が基調で印象的なデザインである。宇和町には開明学校、申議堂のほか高野長英の隠れ家など古代の古墳や遺跡、文化遺産が多く残っており、明石寺はその中心的存在。寺は宇和盆地の中腹にあり、奥行きのある重厚な造りはまさに古刹を訪れたといった感じがする。少し時間をかけてこの趣きを楽しみたい。

御詠歌 聞くならく千手の誓いふしぎには 大盤石もかろくあげ石

御本尊 先手観世音菩薩

真言 おん  ばざらたらま  きりく  そわか

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