ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

仙人が雲間に消えたお寺 愛媛県今治市「仙遊寺」(その67)

第五十八番札所 作礼山  仙遊寺

(されいざん  せんゆうじ)

住所 今治市玉川町別所甲483

電話 0898-55-2141

栄福寺から仙遊寺まで

距離  2.9km 標高差  +217m  -13m

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栄福寺から仙遊寺

天智天皇(668〜671)の勅願により伊予の国主越智守興が堂宇を建立。天智天皇大化の改新の仕上げを念じ、虎皮の太鼓を寺に奉納したとされる。本尊の千手観音菩薩像は海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫り安置したと伝わる。このことから「作礼山」が山号となる。さらに、阿坊仙人という僧が四十年にわたって寺に籠り七堂伽藍を整えるが、養老ニ年(718)に雲と遊ぶが如く忽然と姿を消したと伝わる。このことから「仙遊寺」が寺名となる。弘法大師四国霊場開創の折にこの寺で修法を行ったとき、病に苦しむ人々を救済するため井戸を掘り、また荒廃していた七堂伽藍を修復して再興したとされる。この井戸は旧参道の脇に残り、「お加持の井戸」として多くの諸病を救ったと伝わる。江戸時代に入ると寺は荒廃し本堂と十二社権現だけとなるが、明治時代の初期、高僧宥蓮上人が山主となり、多くの信者とともに再興に尽力する。この宥蓮上人は明治四年に日本最後の即身成仏として入定しており、境内には上人を供養した五輪塔がある。昭和二十二年に山火事に遭い堂宇全てが焼失するが、本尊と大師像は三人の信者が命懸けで運び出し難を逃れる。昭和二十八年に本堂が、昭和三十三年に大師堂が再建される。本尊に安置された千手観世音菩薩は高さ六尺の立像で、温泉を備えた宿坊に泊まると本尊の前でお勤めが出来るとのこと。本堂の入口には四国で一番大きい賓頭盧尊者像がある。また、四国の札所では珍しく本尊と大師像が通年公開されている。寺の麓に竜登川という名の谷川がある。童女がぞくぞくと川を伝って遡り、列をなして寺に献灯したと伝わる。この灯りは桜の木に掛けられたため、桜は童灯桜と永く呼ばれていたが、今は枯死し牡丹桜に植え替えられている。寺は作礼山の八合目あたりにあり、途中に池塚池と呼ばれる池の脇を通る。池には「昔、利口な黒犬が栄福寺仙遊寺の用を兼務し、鐘の音がその合図として使われていた。ところがある日二つの鐘が同時に鳴ったため、迷った犬がついに池に飛び込み果て死んだ」という悲話が伝わる。寺まではみかん畑の中の急坂を登る。途中にロードバイクが一台置いてあったが、近くに参道はなく、余りの急坂のため徒步遍路へと切り替えたのではと思われた。寺に近づくほど坂は激坂へと変わるが、境内からは今治市街と瀬戸内海が一望出来、素晴らしいロケーションである。戦略的な要所でもあり、寺には河野家や村上家との関係を記した資料があるほか、山頂には古い砦があったと伝わる。本堂の中にある納経所で「何で来た」と聞かれたため、「ロードバイクで登ってきた」と答えると、仙人のような風貌の住職が「若いな、大したもんだ」と破顔一笑。こうしたやり取りは生涯忘れ得ないものである。

御詠歌 たちよりて作礼の堂にやすみつつ 六字を唱え経を読むべし

御本尊 千手観世音菩薩

真言 おん  ばさら  たらま  きりく

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