第二十二番札所 白水山 平等寺
(はくすいざん びょうどうじ)
住所 阿南市新野町秋山177
電話 0884-36-3522
距離 13.0km 標高差 +104m -130m
弘仁五年(814)に弘法大師がこの地を訪れ禅定に入ると五色の雲がたなびき、中から黄金色に輝く金剛界大日如来の梵字が現れる。大師は更に加持すると心に釈迦如来の姿が浮かぶ。大師は薬師如来に「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」と誓い、錫杖でその場に井戸を掘ると、乳白の霊水が湧き出す。大師はこの水で身を清めて百日間の修業を行った後、薬師如来を刻み、堂を建立して本尊として安置する。山号は乳白色の霊水から「白水山」と、寺名は一切の衆生を平等に救済する祈りを込め「平等寺」とする。「平等」とは動物も草木も人も、天と地と神仏もみな等しいとする教えで、大日如来の現れの一つである。かつての平等寺には大きな通夜堂があり、家族で長逗留する人も多かった。寺名のとおり誰でも別け隔てなく受け入れる宿で、昔を知るお遍路の間では語り草であったという。室町時代の平等寺は七堂伽藍や十二の末寺を持つほどに発展したが、天正年間(1573〜1592)に長宗我部元親の兵火で焼失、享保年間(1716〜1736)に再興を果たす。本堂に至る石段の下には「弘法の霊水」と呼ばれる井戸があり、水は万病に効くという。寺には男坂四十二段、女坂三十三段、子厄坂十三段で計八十八段の厄除け坂があり、厄除けのため石段に年齢の数だけ賽銭を置く参拝者が多い。本堂には箱車(イザリ車)が三台置かれているが、これは平等寺で霊験を授かり足が治ったというお遍路さんが記念に奉納したものである。少し長くなるが車の脇にある霊験記を紹介する。昭和二年五月、徳島県穴吹町に住む土谷金助という人の話であり、一字一句に隠しきれない喜びが溢れている。「私は、病気一つしたことがない至極丈夫な大工でした。しかしある日のこと原因不明の熱病がもとで完全に手足の自由が奪われてしまい、薬も効き目なく医者からも見放され、その結果四国巡礼を思いたちました。この車は出発のとき村の人たちの親切で作ってくれたものです。祖父と妻に引かせてこの寺までたどり着いたとき、お大師さんのご利益で再び足腰が立つようになりました」
御詠歌 平等にへだてのなきと聞く時は あら頼もしき仏とぞみる
御本尊 薬師如来
御真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか