ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

修行の道場始まりのお寺 高知県室戸市「最御崎寺」(その28)

第二十四番札所 室戸山  最御崎寺

(むろとさん  ほつみさきじ)

住所 室戸市室戸岬町4058-1

電話 0887-23-0024

鯖大師本坊から最御崎寺まで

距離  57.3km 標高差  +243m  -94m

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鯖大師本坊から最御崎寺まで

室戸岬にほど近い断崖絶壁の麓に、波の侵食で出来た洞窟がある。延暦十一年(792)、十九歳の弘法大師は五年間の山林修業を始めるが、この洞窟で修業した際の様子を二十四歳の時の著書「三教指帰(さんごうしいき)」に「土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す」と記している。洞窟は二つあり、右側が大師が「三教指帰」の悟りを開いたとされる神明窟、左側が寝起きしたとされる御厨人窟(みくらど)である。記録にもあるように、神明窟での難業の最中に明星が大師の口に飛び込み、悟りを開いたとされる。また、御厨人窟から見える景色は空と海だけで、ここから「空海」という法名を得たとされる。この洞窟のある断崖の上に建つのが「修業の道場」の最初の札所である最御崎寺で、別名東寺ともいう。室戸岬の東にある寺として、同じ岬の西にある西寺(二十六番札所金剛福寺)と対となる呼び名である。大師は唐から帰朝した翌年の大同二年(807)、嵯峨天皇の勅命を受け再びこの地を訪ね、虚空蔵菩薩像を刻んで本尊とし、寺を建立する。その後は勅願寺として栄え、南北朝時代には足利尊氏により土佐の安国寺と定められる。女人禁制の寺で、女性遍路は参道入り口にある女人堂から拝んでいたが、明治五年に解禁された。本堂の脇には「空海の七不思議」の一つである「くわずいも」の畑がある。大師が土地の者に芋を乞うたところ「食べられない芋だ」と断られた。すると芋はそれ以来、本当に食べられない「くわずいも」になってしまったという。境内にある鐘石は「空海の七不思議」の一つで、小石で叩くと「キーン」と金属のような鋭い音がする。この不思議な音は冥土まで届くという。宝物殿には国内で唯一、大理石で作られた如意輪観音半跏像や木造の薬師如来坐像月光菩薩立像がある。また、山門から入った右手には、白い花をつける寄生種ヤッコソウの自生地がある。徳島県を北限とする天然記念物である。御厨人窟は落石により一時閉鎖されたが、現在は自己責任の下ヘルメット着用で入ることが出来る。洞窟の目の前を国道が通るが、これは室戸岬が年間1〜2mm隆起していることによる。海岸沿いの国道からお寺に至る室戸スカイラインは10%の激坂。土佐路では、こうした海岸近くの山寺が続くこととなるが、過去の大津波を考えると然りといったところ。御厨人窟の近くには高さ21mの青年大師像がある。像の近くの案内版に大師が死の直前、弟子の阿難に説法したという最後の言葉が現代語で次のように書かれている。「もろもろの出来事は過ぎ去るものである。人間は誰でも努力して修業に励みなさい」

御詠歌 明星の出でぬる方の東寺 くらき迷いはなどかあらまし

御本尊 虚空蔵菩薩

真言 のうぼう  あきゃしゃ  きゃらばや  おん  ありきや  まりぼり  そわか

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