ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

別格らしい深山幽谷の霊場 愛媛県四国中央市「仙龍寺」(その78)

別格第十三番札所 金光山  仙龍寺

(きんこうざん  せんりゅうじ)

住所 四国中央市新宮町馬立1200

電話 0896-72-2033

三角寺から仙龍寺まで

距離  10.9km 標高差  +185m  -274m

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三角寺から仙龍寺まで

縁起によると寺の開創は七世紀の頃。天竺から訪れた法道仙人による。法道仙人は空鉢仙人とも呼ばれ、別格第十番札所の興隆寺や播磨の国の多くの寺を開いたことで知られる。延暦十三年(794)に弘法大師がこの地を訪れ、法道仙人から山を託される。弘仁六年(815)大師は四十二歳の時に再びこの地を訪れ、金剛窟に瀧沢大権現と開運不動尊を勧請する。大師は息災の護摩壇を築き、朝夕「きよめの瀧」で心身を浄めて「開運厄除」「虫除五穀豊穣」の誓願を立てる。そして二十一日間の護摩の修行を終えると、自らの姿を彫刻して安置する。江戸時代には木食(もくじき)上人が寺に立ち寄り、千体地蔵を刻んで奉納する。木喰上人は全国を遍歴して修行する遊行僧であり、訪れた先では一木造の仏像を刻んで奉納したという。この千体地蔵は現在、四国中央市の五明院に残されている。寺は第六十五番札所三角寺奥の院であり、お遍路さんには古くから知られていることが以下の古書より知ることができる。僧賢明の「空性法親王四国霊場御巡業記」(1638)には「善悪無記の三角寺奥の院こそ世にも又、最も殊勝に覚えける」と記され、澄禅の「四国辺路日記」(1653)には「辺路修行者ノ中ニモ此奥院ヘ参詣スルハ希也ト云ガ、誠ニ人ノ可通道ニテハ無シ、只所々ニ草結ビノ在ヲ道ノ知ベニシテ山坂ヲタドリ上ル。峠ニ至テ又深谷ノ底ヘツルベ下ニ下」と記されている。また、真念の「四国遍路道指南」(1687)には「三角寺より奥院まで五十八丁坂道。おくの院八丁前に大久保家ニ三軒有、荷物置きてよし。但おくの院一しゅくの時は荷物持行」と記され、「四国遍礼名所図会」(1800)には「樹木生茂り、高山岩端けはしき所を下る。難所、筆紙に記しがたし」と記されている。このように寺は深山幽谷霊場で、往時の歩き遍路にとって難所中の難所であったことが窺える。境内は大きな崖をくり抜くように作られ、舞台造りの本堂は車道から遥か上、空中に突き出るように建つ。本尊の大師像は「厄除大師」「虫除大師」と知られ信仰を集めている。本尊へはお通夜堂に入り参拝を行う。堂内の部屋は広く、寺にまつわる資料が所狭しと展示されている。納経所も本堂の中にあり、どことなく暗く寂しく、自分の足音以外何も聞こえない堂内は一度訪ねると忘れないと思う。仙人堂へはお通夜堂正面の石段を登る。石段の脇には藤井芳洲の歌碑があり、隣の看板には「世相は遷移す  轉瞬の間  栄枯得失循環を見る  年々華發いて猶旧に依るも  歳々人生逝いて還らず」と書かれている。寺へは三角寺から山を越えて南下する形となる。グーグルマップでは東側から辿る道程を書いたが、西側から国道319号に沿って廻る行き方もある。ただし、後者は銅山川沿いの細くて狭い道で、酷道マニアなら十分楽しめるが、そうでなければやたら時間ばかりかかるのであまりお勧めしない。ただし途中にある具定展望台は瀬戸内海が一望できる絶景スポットのため、余裕の有る方はどうぞ。寺は山寺というには何かが異なる、一種独特の雰囲気に包まれており、別格二十霊場の中でも更に別格的な存在である。

御詠歌 極楽は他にはあらぬこの寺に 御法の声をきくぞうれしき

御本尊 弘法大師

真言 南無大師遍照金剛

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