ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

「真っ縦」の上にある魔境のお寺 高知県安田町「神峯寺」(その31)

第二十七番札所 竹林山  神峯寺

(ちくりんざん  こうのみねじ)

住所 安芸郡安田町唐浜2594

電話 0877-38-5495

金剛頂寺から神峯寺まで

距離  30.9km 標高差  +474m  -217m

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金剛頂寺から神峯寺まで

三世紀頃に朝鮮半島へと兵を進めた神功皇后が戦勝祈願のため天照大神を祀った神社が寺の起源とされる。天平二年(730)に聖武天皇の勅を受けた行基が十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、神仏を合祀して開創する。大同四年(809)に大師が勅命により堂宇を建立して「観音堂」と名付ける。元和年間に火災で焼失、その後本堂と大師堂が再建されるが、厳しい山中のため麓の常行禅寺や前札所の養心庵で納経する者も多かった。江戸時代末期の常行禅寺の納経帳に「奉納  本尊十一面観音  土州竹林山  神峯」と書かれている。幕末には明治の大財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、息子の開運を願い、安芸市の家から寺まで往復四十キロの道を素足で二十一日間日参したという。明治初年の神仏分離令により神峯神社が残り、寺は廃寺となる。廃仏毀釈は日本各地で行われたが、四国で最も激しかったのが土佐であり、寺院の七割が廃寺になった。本尊と札所は金剛頂寺に預けられるが、明治中期に堂宇を建立して再興を果たす。ただし寺格がないため、茨城県朝日村の地蔵院を移管して認可を得たという。昭和三十年代、愛知県の婦人が脊椎カリエスで大学病院から見放されたが、この峰で霊験を得て奇跡的に全治する。寺は標高570mの神峰山の中腹に建つ。海岸沿いの松林から「真っ縦」と呼ばれる急な山道を登ることから、土佐屈指の難所とされる。元禄年間に書かれた四国霊場案内の嚆矢とされる「四国徧礼霊場記」には「幽径九折にして黒き髪も黄色になりぬ。魔境ゆえに申の刻(午後四時)より後は人行く事を得ず」と記されている。土佐の関所寺でもあり、お遍路さんには特別な札所と言えよう。石段の下には土佐の名水で知られる神峰の水が湧き出ており、病気平癒に霊験あらたかとされる。石段の両側の庭園はきれいに整備され、ツツジ・サツキの花や秋の紅葉が美しい。昭和時代のガイドブックには「神峰さんはマッコトきちゅう坂ぞね。先日もお参りのお遍路さんが心臓マヒで死んだゆうとったぞね」と地元タクシー運転手の談が紹介されている。傾斜のキツさは四国霊場トップクラスであり、坂道に急カーブが加わると、スーパーカブのギヤ二速でも登坂がきつくなる。土佐の霊場の中、随一の大ボスである。時間がある方には山頂近くにある神峰神社と展望台に行くことをお勧めする。札所と異なり人気の少ない寂しい所だが、眼下には太平洋を一望、360度のパノラマが楽しめる。

御詠歌 みほとけのめぐみの心神峯 山も誓いも高き水音

御本尊 十一面観世音菩薩

真言 おん  まか  きゃろにか  そわか

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