ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

紀貫之とゆかりのある土佐の苔寺 高知県南国市「国分寺」(その33)

第二十九番札所 摩尼山  国分寺

(まにざん  こくぶんじ)

住所 南国市国分546

電話 088-862-0055

大日寺から国分寺まで

距離  8.8km 標高差  +18m  -77m

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大日寺から国分寺まで

聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」を受け、行基が本尊の千手観音像を刻み天平十三年(741)に開創する。鎮護国家、五穀豊穣、万民豊楽を願う官寺である。弘仁六年(815)にこの地を巡錫した弘法大師は、真言八祖に相承される厄除けの「星供(ほしく)の秘法」を修め、沙門天像を彫造して奥の院に安置する。以来、土佐の国分寺真言宗霊場として「星供の根本道場」となり、明治に至るまで皇室と藩主のための星供の祈祷が続く。本尊千手観世音菩薩を祀る本堂は、長宗我部国親元親が永禄元年に再建。外観は柿葺き、寄棟造りの建物は天平様式を伝える。内部の海老紅梁(えびこうりょう)は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られる。小さな土豪から身を起こした元親は、四国征伐を果たすため血みどろの合戦を繰り返し、多くの寺を焼き尽くしてきたが、居城であった岡豊城近くにある国分寺に対しては本堂の再建を行っている。千二百有余年の歴史を有する境内地は全域が国の史跡に指定。境内には杉苔の美しい庭園が広がり、寺は別名「土佐の苔寺」と呼ばれる。寺の周辺は中世まで土佐国国府所在地であり、「土佐日記」の著者紀貫之の邸宅跡が寺の近くにある。高浜虚子が「土佐日記懐にあり散る桜」と詠んだ地である。北に四国山地、南に高知平野、近くに国分川が流れるこの地からは弥生時代の住居跡も発掘され、早くから開けた土地であった。「諸国で最も良い土地を選んで建てよ」と指示する「国分寺建立の詔」にふさわしい場所であり、低湿地帯に造られ水害の絶えない高知市街とは対照的である。一つだけ、一心に願えば叶えてくれるというお地蔵さんは「酒絶地蔵」と呼ばれ、大師堂の脇にある。お接待場には、霊場の中でも珍しいアイスコーヒーが飲める無料の自動給湯器がある。四国各地の遍路道には様々な遍路石があるが、国分寺近くには「へんろ石」というバス停があり、「へんろ石まんじゅう」が売られている。寺の周りは真っ平らな田園地帯。ロードバイクで快走できるが、天気の急変には要注意。四国山地が間近なせいか、降り出した雨はまたたく間に激しさを増し往来を濡らす。しかしながら暫くするとパタリと止み、南国の太陽が痛いほど素肌を焼く。土佐っぽの気性さながらである。

御詠歌 国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世までの利益残せり

御本尊 千手観世音菩薩

真言 おん  ばざらたまら  きりく

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