ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

土佐神社と神仏習合のお寺 高知県高知市「善楽寺」(その34)

第三十番札所 百々山  善楽寺

(どどざん  ぜんらくじ)

住所 高知市一宮しなね2丁目23-11

電話 088-846-4141

国分寺から善楽寺まで

距離  7.0km 標高差  +44m  -93m

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国分寺から善楽寺まで

大同五年(810)に巡錫でこの地を訪れた弘法大師が、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神(現在の土佐神社)の別当寺として本寺を開創する。この地に霊威を感じた大師は、渓谷が百あれば入定の地に定めようと山々を調べた。ところが九十九谷だったため、寺を開創して一谷補ったことから寺の山号を百々山と定める。応仁年間(1467〜1469)に火災で焼失するが、神仏習合の寺院として信仰を集め、土佐藩二代藩主山内忠義の庇護を受けて栄える。万治元年(1658年)に寺名を長福寺と改めるが、徳川家重の幼名が長福丸であることにはばかり、享保六年(1721)に善楽寺と再び寺名を改める。明治初期の神仏分離令により廃寺とされるが、同八年には高知城に近い安楽寺が早々に復興し、善楽寺に代わって三十番札所となる。その後、昭和五年に埼玉県にある東明院をこの地に移し、寺はようやく復興を遂げるが、三十番札所が二箇所あるという混迷の時代が戦中、戦後と永く続く。こうした「遍路迷わせの札所」が解消されたのはごく最近の平成六年。安楽寺が三十番札所の奥の院となり事態がようやく決着する。大正時代に建立された大師堂は厄除け大師として知られる。文化十三年(1816)建立の梅見地蔵は首から上の病気や悩みに霊験あらたか。かつて大師堂横の梅の下に祀られていたことからこの名が付く。大師作と伝わるやさしい顔をした子安地蔵は、安全祈願・子宝祈願のお地蔵さん。難産で苦しむ妊婦を大師が祈祷し、安産させたという伝説が残されている。隣接する土佐神社は、鎌倉時代には土佐国総鎮守一宮とされ、江戸時代には土佐最上の祈願所とされる。対となる善楽寺は、正面に大師堂、左に本堂と庫裏が並び立つものの、すべてが小造りで後は桜の並木がある程度。言い出したら後へ引かない「土佐のいごっそうたち」の本家争いの結果なのかは不明だが、神社の賑やかさに比べ静寂なところが、逆に札所らしさを醸し出す。国分寺からは、国分川の堤防に沿って行くのがロードバイクにとってお勧めのコース。アオサギコサギなどのサギ類が多く生息しており、豊かな自然を楽しむことが出来る。

御詠歌 人多くたち集まれる一ノ宮 昔も今も栄えぬるかな

御本尊 阿弥陀如来

真言 おん  あみりた  ていぜい  からうん

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