ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

一遍上人も修行した厄除けと商売繁盛のお寺 愛媛県松山市「繁多寺」(その59)

第五十番札所 東山  繁多寺

(ひがしやま  はんたじ)

住所 松山市畑寺町32

電話 089-975-0910

浄土寺から繁多寺

距離  2.1km 標高差  ほぼ平坦

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浄土寺から繁多寺まで

天平勝宝年間(749〜759)孝謙天皇の勅願により行基が三尺の薬師如来立像を彫造し、寺を建立したと伝わる。孝謙天皇より祭具として幡を賜ったことが寺名の由来とされるが、元の寺名は光明寺で大師が今の寺名に改めたとも伝わる。弘仁年間(810~824)この地を巡錫する弘法大師が寺に逗留し、霊場と定める。その後寺は衰微するが、伊予の国司源頼義や僧堯蓮の援助で再興を果たす。弘安ニ年(1279)には後宇多天皇の勅命を受け、聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷する。時宗の開祖一遍上人が青年期、太宰府から伊予に帰郷した際に寺に参籠して修行。更に晩年の正応元年(1288)には亡父・如仏が所蔵する「浄土三部経」を寺へ奉納する。寺は天皇家菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりが深く、応永ニ年(1395)には後小松天皇の勅命により泉涌寺二十六世快翁和尚が繁多寺の第七世住職となる。こうした縁から寺には十六弁の紋章がついた瓦が残る。江戸時代には四代将軍家綱の念持仏三体のうちの歓喜天が寺に祀られるなど徳川家から篤い帰依を受け、寺は三十六坊と末寺百数余を有するほどの隆盛をきわめる。鐘楼は元禄九年(1696)に信者が寄進したもので、天井絵には中国の二十四孝が描かれている。本堂左手の聖天堂には家綱の念持仏・歓喜天像が安置されており、祈れば富貴を与え、厄除け、夫婦和合、商売繁盛などのご利益があるとされる。毎月十六日には歓喜天の縁日が開かれる。寺は小高い丘の上にあり、境内の右手には大きなため池がある。境内からの眺望は素晴らしく、右手に松山城をはじめ市街が広がり、正面遠くに瀬戸内海を望む。寺の周囲は景観樹林保護地域に指定されており、桜や藤、紅葉の名所である。浄土寺からは住宅街を通り抜け、やや奥まった所に寺は位置する。明治の廃仏毀釈で寺領が大きく削られたものの、広い境内を有する立派な寺院である。伊予の街並みを眺めながら、少しのんびりとするのも良い。

御詠歌 よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ

御本尊 薬師如来

真言 おん  ころころ  せんだりまとうぎ  そわか

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