ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

安産子安を願う子宝杓子のお寺 愛媛県四国中央市「三角寺」(その77)

第六十五番札所 由霊山  三角寺

(ゆれいざん  さんかくじ)

住所 四国中央市金田町三角寺甲75

電話 0896-56-3065

延命寺から三角寺まで

距離  18.4km 標高差  +343m  -42m

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延命寺から三角寺まで

聖武天皇(在位724〜49)の勅願を受け、行基弥勒(みろく)の住む浄土兜率天(とそつてん)を具現するため寺を開創したと伝わる。兜率天とは、阿弥陀佛の極楽浄土と共に浄土思想における二大聖地の一つである。弘仁六年(815)に弘法大師が寺を訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置する。大師は不動明王像も刻み、三角の護摩壇を築いて二十一日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念し「降伏護摩の秘法」を修法する。この降伏護摩のおかげで、この地に棲む悪龍が農民のために水を提供すると約束する。護摩壇の跡は境内にある「三角の池」の中の島として現存し、寺名の由来となる。寺は嵯峨天皇(在位809〜23)の厚い信仰をうけ、寺領三百町歩を抱えるほどになる。往時は七堂伽藍を備えて寺運は隆盛の一途であったが、長宗我部軍の「天正の兵火」に遭い、堂宇の一部を焼失。現在の本堂に建て替えられたのは嘉永ニ年(1849)で、昭和四十六年に修復されている。本尊は古くから安産子安の観音として信仰を仰ぐ。子宝に恵まれない夫婦が「子宝杓子」と呼ばれる杓子を寺から授かり、仲良く食事をすると子宝に恵まれるとされる。その昔は、妊婦が寺の庫裡にある杓子をひそかに持出し、出産の際に床下へ置くと安産になると言われていたが、現在は、納経所に本人が申し出ると御祈祷を受けたお守りと腹帯が授けてもらえる。子供を授かった後に、新しい杓子と授かった杓子を持ちお礼参りをするのが寺の習わしである。境内にある薬師堂は疣(いぼ)や魚の目の治験にご利益があると伝わる。疣は松かさのようにぽろりと落ちるという。また、蛸(たこ)の吸盤が魚の目を取るため、魚の目の治験には蛸の絵を描いた絵馬を奉納すると良いとされる。三角の池の中の島には弁財天が祀られた小さな堂が建っている。大師堂の脇にある延命地蔵菩薩は高さ7mの青銅製の立像で、昭和五十二年に建立されたもの。寺は標高465mの龍王山の中腹、355mの高さにあり、かつては厳しい山道を登る難所寺であった。狭くて急な車道は現在においても「登りがい」のある寺であり、寛政七年(1975)に俳人一茶がこの寺に詣でて「これでこそ  登りかひあり  山桜」と詠んだのもうなずける。境内には樹齢約三百年と言われる山桜があり、四月中旬頃に満開を迎える。また、年中チラホラと咲く四季桜もお遍路さんの間で有名である。駐車場から段差の大きい七十三段の石段を登り詰めると、立派な鐘楼を備えた山門がある。頭上を圧倒するような威容を誇り、参拝前に一つ撞くのが習わし。この地方は局所的な突風「やまじ風」の名所で、火事が何よりも恐ろしい所。寺は延焼を防ぐため、わざわざ大師堂を移したほどである。昭和四十六年には、近傍の国有林において、大規模な山火事によって十八名の消防団員が巻き込まれる惨事が発生している。八十八霊場のうち、伊予国最後の札所として相応しい趣きのある寺院であり、じっくりと境内を散策するのが良い。寺へは高速道路の脇から入り、少々分かりにくい道程であるが、標識を見落とさずに行けば無事たどり着く。四国山地の裏側に位置するため日が陰るのが早く、ここはスーパーカブで疾走してお参りを済ませたい。

御詠歌 おそろしや三つの角にもいるならば 心をまろく慈悲を念ぜよ

御本尊 十一面観音像

真言 おん  まか  きゃろにきゃ  そわか

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