ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

美しい鐘の音のお寺 愛媛県今治市「延命寺」(その63)

第五十四番札所 近見山  延命寺

(ちかみざん  えんめいじ)

住所 今治市阿方甲636

電話 0898-22-5696

圓明寺から延命寺まで

距離  33.8km 標高差  +117m  -98m

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圓明寺から延命寺まで

養老四年(720)、聖武天皇の勅願により行基大日如来の化身とされる不動明王像を彫造して本尊とし、現在地より北にある近見山の山頂に伽藍を建立して寺を開創する。弘仁年間(810〜24)には弘法大師嵯峨天皇の勅命を受け、伽藍を信仰と学問の中心道場として再興。不動院圓明寺と名づけて勅願所と定める。鎌倉時代の文永五年(1268)には華厳宗の学僧凝然が寺の西谷の坊に籠り、初学者の仏教入門書といわれる「八宗綱要」を著述する。「八宗」とは倶舎・成実・律・法相・三論・天台・華厳の各宗と新しく興った浄土宗を指し、上下ニ巻に記されている。凝然は宇多天皇の尊崇を受け、生前に国師の号を賜ったほどの学僧であり、著書の多いこと日本一とされる。その後は再三戦火に焼かれて境内を移転し、享保十二年(1727)に現在の地へと移転する。移転の際、寺の庭園に植木として植えたと伝わるツブラジイが今も現存する。この圓明寺という寺名は、同じ寺名である五十三番札所との間違いが多く、このため明治維新の際、寺名を江戸時代から俗称として用いてきた「延命寺」へと改める。本堂にある本尊は珍しく宝冠をかぶった不動明王像。再三の火災から逃れてきたため火伏不動尊と呼ばれる。山門の仁王門はもと今治城の城門の一つで、総けやき造り。天明年間(1781〜1789)の建造と言われており、明治初期の今治城取り壊しの際に譲り受ける。寺には四国でニ番目に古いとされる真念の道標が残されている。境内にはこの地の庄屋であった越智孫兵衛の供養塔が立つ。孫兵衛はおかゆの弁当を百姓に持たせて役人に生活苦を訴えた。そのため年貢米が引き下げられ、享保の大飢饉に阿方から一人の餓死者も出さなかったという。今も毎年八月には村人が集まり孫兵衛を供養する。寺の初代鐘楼は近見太郎といい、長曾我部の軍勢に略奪された際に「いぬるいぬる」(帰る帰る)と鳴ったと伝わる。また、連れ去られるぐらいならと自ら海に沈んだとも言われている。今の鐘楼は近見二郎と呼ばれる。鐘の音は諸行無常を伝え、その音は黄鐘調という。深秋十一月の声と仏教音楽では伝承されている。鐘の音の美しさは四国霊場随一で、さすが住職が「天下一品」と自賛するほど。宝鐘院と号するのももっともであろう。石段の左右には馬酔木が多く植栽され、春の彼岸ごろになると可憐な白い花をつける。桜やつつじも多く見られ、寺への進入路は桜のトンネルとなる。花の寺に響く美しい鐘の音。まことに風情のある寺である。圓明寺からは海岸沿いの国道をひたすら北東へと進む。フラットなシーサイドラインは交通量もさほど気にならないが、運悪く向かい風にぶつかると意外と時間を要する。JR沿いに進むので、急ぐ場合は輪行という手もある。途中の海辺にはお手製の休憩所があり、手作りの小さな手土産がお遍路さん向けに用意されている。

御詠歌 くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな

御本尊 不動明王

真言 のうまく さんまんだ  ばざらだん  せんだ  まかろしゃだ  そわたや  うん  たらた  かんまん

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