ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

治水のため土砂加持を修した寺 愛媛県今治市「泰山寺」(その65)

第五十六番札所 金輪山  泰山寺

(きんりんざん  たいさんじ)

住所 今治市小泉1-9-18

電話 0898-22-5959

南光坊から泰山寺まで

距離  3.0km 標高差  ほぼ平坦

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南光坊から泰山寺

弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁六年(815)のこと。この地方を流れる蒼社川が毎年梅雨になると氾濫し、田地や家屋を流し人命を奪っていた。村人たちは川を人取川と呼び恐れ、災いは悪霊の祟りと信じていた。事情を聴いた大師は村人たちと堤防を築き、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修する。土砂加持とは密教修法の一つで、土砂を死体や墓にまき亡者迫善の祈願を行うこととされる。大師は満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感得し、治水祈願の成就を果たす。大師はこの修法の地に「不忘の松」を植え、感得した地蔵菩薩像を彫造して本尊とし、堂舎を建て「泰山寺」と名づける。この寺名は「延命地蔵経」の十大願の第一「女人泰産」からとったと伝わる。「泰山」には寺の裏山の金輪山を死霊が集まる泰山になぞらえ、亡者の安息を祈り、死霊を救済する意味もあるとされる。寺はその後淳和天皇(823〜33)の勅願所となる。この頃の寺は七堂伽藍を備え、塔頭に地蔵坊、不動坊等の十坊を構えるなど巨刹として栄えたと言われる。その後は度重なる兵火により寺の規模は縮小し、金輪山の山頂にあった境内は大師お手植えの「不忘の松」がある現在の地へと移ったと伝わる。お手植えの松の木は現在、その三代目が境内に立っており、「不忘松」と書かれた石碑が脇に添えられている。本堂斜め前には石塔に丸い輪が付いた地蔵車が立つ。この輪を回すと地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六つの迷界で生まれては死ぬという「六道輪廻」の絆が断てるとされる。境内に立つ鐘楼は今治城にあった太鼓楼の古材で再建されたものである。寺は川の石を積んだ玉石造りの石垣の上に形良く収まっている。明治のはじめ、近隣の百姓が山へ出かけた際には必ず馬の背に石を乗せ帰り、それで石垣を築いたと伝わる。寺は今治市郊外の田園の中にあり、近年改修された白い漆喰塀が美しい。寺の境内にはお遍路さんの車が間違って迷い込み、納経所の方からお叱りを受けていた。お遍路さんには色々な人がいて、霊場を八十八も回れば色々な出来事が起きる。こうしたハプニングも修行の一つなのだろう。南光坊からはほぼ一本道で、国道を横切り「かつや」の脇から水路沿いに行くとすぐの場所にある。ここはロードバイクでのどかな田圃を楽しみたい。

御詠歌 みな人の詣りてやがて泰山寺 来世の引導たのみおきつつ

御本尊 地蔵菩薩

真言 おん  かかかび  さんまえい  そわか

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