ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

石鎚山に建つ山岳信仰を支えたお寺 愛媛県西条市「横峰寺」(その71)

第六十番札所 石鎚山  横峰寺

(いしづちざん  よこみねじ)

住所 西条市小松町石鎚甲2253

電話 0897-59-0142

生木地蔵から横峰寺まで

距離  18.9km 標高差  +813m  -66m

f:id:sikimidaigarden:20211120210314p:plain

生木地蔵から横峰寺まで

寺伝によると白雉ニ年(651)に修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が石鎚山の星ヶ森で修行中、山頂に蔵王権現が現れる。その姿を石楠花(しゃくなげ)の木に刻み、小堂を建て安置したのが寺の創建される。ちなみに役行者は奈良の吉野でも蔵王権現を感得し、桜の木に姿を刻んだとされ、以降、吉野では桜が御神木となる。延暦年間(782〜806)には石仙仙人という行者がこの地に住み、桓武天皇の脳病平癒を成就したことから、天皇より仙人が菩薩の称号を、寺が金の御幣を賜ったと伝わる。大同年間(806〜810)に弘法大師が厄除けと開運祈願の星供を修めたときにも蔵王権現が現れる。蔵王権現修験道の主尊であり、大師は真言密教の教主である大日如来を刻んで寺に安置し、霊場を開設する。以来、寺は石鎚神社別当寺として信仰を集め栄えるが、明治四年の神仏分離により廃寺となり、六十番札所は麓の清楽寺に、檀家は香園寺に移される。しかし、檀家の懇願を受けて明治十三年に大峰寺の名前で復興を果たし、明治四十二年に元の寺名に戻される。本堂は神社風の権現造り。本尊の大日如来坐像と併せて平安時代作の金銅蔵王権現御正体像が祀られ、共に県指定重要文化財となっている。本堂左手前には右手に剣、左手に星供の巻物を持つ星供大師の像が立つ。寺の南西600mの所には大師が星供を修法した星ケ森があり、そこから石鎚山が遥拝できる。本堂から大師堂に至る山際一面には石楠花が植えてあり、五月上旬から鮮やかな薄紅色の花が境内を彩る。ただし、連休と重なると観光客が押し寄せ、交通渋滞が発生する程なので要注意。西日本の最高峰石鎚山(1982m)は山岳信仰の霊地であり、修験道の道場でもある。大師は二十四歳の時の著書「三教指帰」で、石鎚山での修行の様子を「或時は石峯に跨って粮を絶ち、轗軻(苦行練行)たり」と記している。寺は山頂から真北へ7km、標高750mの地に立つ。四国霊場の中で三番目に高く、伊予の関所寺とされている。四国霊場の中、数ある遍路ころがしの中でも太龍寺と並ぶ最難所であったが、昭和五十九年に有料の林道が開設され、境内近くまで車両が通行可能となる。ただし冬季は通行不可となり、徒歩で登坂を余儀なくされる。林道入口に料金所があるのは全国でも珍しく、更に地元の森林組合が管理しているとは驚き。スーパーカブで400円の料金を払うと、係の人が道が悪いので気をつけるよう声をかけてくれた。誰にも会わない山道を一人寂しく登っていると、こういう声は妙に心に沁み入る。林道終点から寺までは五百mほど有り、舗装され傾斜もさほどではないが、足腰の悪いお遍路さんには少々厳しい道のり。でもお遍路さんは同行二人が常なる故か、遅れて歩いていても何故か皆明るい。林道終点から行くと寺へは大師堂の裏から入る形となるため、一旦山門まで降りてそこから登って参拝することとなる。気流の関係か、瀬戸内海から望む西条の山々はいつも雲がかって見えるが、この横峰寺も同様。滅多に晴れることはないそうで、霧に覆われた堂宇が深山の霊場といった雰囲気を醸し出す。ひたすら山道を走る大ボス的存在の寺へは坂道を変幻自在に操れるスーパーカブがお勧め。マニアの中で有名な酷道439号線よりはるかにスリリングで楽しめるが、あくまでもお遍路であり道中も修行の一つ。林道終点には土産物屋兼茶店があり、甘味が楽しめるので疲れた体を休ませたい。

御詠歌 たて横に峰や山辺に寺建てて あまねく人を救ふものかな

御本尊 大日如来

真言 おん  あびらうんけん  ばざらだどばん

f:id:sikimidaigarden:20211120210627j:plain