ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

ロードバイクとスーパーカブで巡った108の霊場を順次ご紹介します。ブログの前半は寺の歴史と堅い文章が続きますが、後半は寺の見どころやご利益、寺へのアクセスや雑感などを書いてみました。🚲🛵

金毘羅さんの奥社であった大寺院 徳島県三好市「箸蔵寺」(その81)

別格第十五番札所 宝珠山  箸蔵寺

(ほうしゅざん  はしくらじ)

住所 三好市池田町州津蔵谷1006

電話 0883-72-0812

雲辺寺から箸蔵寺まで

距離  18.2km 標高差  +114m  -847m

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雲辺寺から箸蔵寺まで

寺の縁起によると、天長五年(828)に弘法大師が四国巡錫中、当地に霊気を感じ箸蔵山に登る。すると金毘羅大権現が現れ「箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん」と御神託を大師に授ける。これを受けた大師は金毘羅大権現の像を刻み、堂宇を建立したことが寺の始まりとされる。金毘羅神のご神託によって、この山に寶珠と箸が神器として納められることになり、このことから山号寺名が「寶珠山箸蔵寺」となる。また当山にて8月4日を「箸の日」と定め、箸供養を行うのはこの故事に由来する。天正十年(1582)には長宗我部元親の兵火に遭い、尊像のみ残して全山焼失を被るが、阿波の僧宥観阿闍梨が復興に努める。寛文七年(1677)の火災により被害を受け、文政九年(1826)の火災により伽藍の大半を焼失する。このため、現在見られる建造物は江戸時代末期以降に建立されたものである。寺は古くは阿波の山岳修行者の道場として修験者が集う場であったが、江戸時代後期以降は、讃岐の金毘羅さんの隆盛とともに金毘羅さんの奥社として発展。金比羅箸蔵の両参りで効能が倍増とされたことから、寺には多くの参拝者が訪れるようになる。昭和初期にはお遍路さんの行程に箸蔵寺が組み込まれており、宮尾しげを著の「画と文  四國遍路」には「遍路は、三角寺から次の六十六番雲辺寺への八里半の長い道を、奥の院仙龍寺をかけて行くか、阿波に入り、金比羅宮の奥の院箸蔵寺を廻って行くのである」と記されている。ロープウエーの山上駅で降りると初めに納経所があり、その右上に鐘楼堂がある。そこから石段を登ると薬師堂、更に石段を二百数十段登り詰めると正面に本殿、右手に観音堂、左手には広い馬場と大師堂がある。寺域は広大で、本殿・護摩殿・方丈(本坊)・薬師堂・鐘楼・天神社の六棟が国重要文化財の指定を受けるなるなど、寺は諸堂荘重の名刹である。令和元年には、護摩殿から本殿までの石段の一段毎に般若心経の文字を配置した「般若心経昇経段」が整備される。寺は開創以来の伝統として毎日朝夕二回欠かさず護摩祈祷を行っており、「箸蔵山の護摩」として知られる。また寺が授ける「長寿箸」「中風除箸」「ぼけ封じ箸」にはご利益があるとされる。寺の境内には三基の鳥居がそびえ、狛犬が睨みをきかせている。神仏習合の信仰が今も息づいており、本殿へは拍手による参拝、納経による参拝のいずれも良いとされる。この箸蔵寺は、別格第七番札所の出石寺と同様、四国八十八霊場から外れているのが不思議に思うほど壮大かつ荘厳な寺院である。山道を走り回ったスーパーカブもここで少々お休み。次の第六十七番札所の大興寺からは讃岐平野へと入り、アップダウンも緩やかとなる。スーパーカブからロードバイクへとバトンタッチし、途中には讃岐うどんの店へと立ち寄る楽しいお遍路旅が始まる。麺のコシや付け合せなどバラエティに富む讃岐うどんの店との出会いも一期一会。大いに楽しみたい。

御詠歌 いその神ふりにし世より今もなほ 箸運ぶてふことの尊き

御本尊 金毘羅大権現

真言 おん くびらや そわか

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