第九番札所 正覚山 法輪寺
(しょうかくざん ほうりんじ)
住所 土成町土成字田中198-2
電話 088-695-2080
距離 2.2km 標高差 +0m -61m
弘仁六年(815)弘法大師は巡錫の道すがら、清水湧く泉のほとりに白蛇を見つける。この白蛇こそ仏の使いとみた大師は釈迦の涅槃像を刻んで本尊とし、堂宇を建立する。寺は白蛇山法淋寺といい、現在地より北に4kmほど離れた法地ヶ渓にあった。往時は壮大な伽藍を誇っていたが、長宗我部元親の兵火により焼失。正保年間(1644〜1648)に現在地に再建される。田んぼの中にあるため「田中法輪寺」と呼ばれていたが、住職が「転法林で覚りをひらいた」ことから山号を正覚山、寺名を法輪寺へと改める。幕末の安政六年(1859)阿波で盛んな人形浄瑠璃を村人らが稽古した際、残り火から出火して寺は山門(鐘楼堂)を残し全焼するが、明治期に再建される。本尊は珍しい寝釈迦で、涅槃に入滅した際の姿を現している。頭北面西右脇(頭を北に、顔を西に向け、右の脇を下にした形)に伏している寝釈迦は「賢者の寝相」と呼ばれ、釈迦を慕う十数体の羅漢がこれを取り囲んでいる。この寝姿は北枕の語源ともなる。寺宝の「弘法大師御御衣(おころもい)」は明治15年に明治天皇から下賜されたもの。高野山奥の院御廟に入定されている大師が御衣替えされた衣である。法輪寺は「健脚祈願の寺」として知られ、本堂には無数の草鞋が奉納されている。松葉杖で参拝に来た人が、参道の半ばで足が軽くなり、杖なしで歩けるようになったと言い伝わる。かつての法輪寺は、吉野川を望む広漠とした原野にポツンと佇んでいたと言われ、今でもその面影は残る。門前にある「あわじ庵」という小さなたらいうどんのお店も往時のままであり、お寺と一体となった景観はまさに「昭和時代の札所」といった感じ。
御詠歌 大乗のひほうもとがもひるがえし 転法輪の縁とこそきけ
御本尊 涅槃釈迦如来
御真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく